Musik 2019 Nr. 7

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93

 


Teil 16

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 15«
[Archiv / Musik 2019 Nr. 6]
より続く

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) が 1812 年の夏の休暇で、Bohemia 王国の温泉保養地として名高い Teplitz (Teplice) に向かうに先立ってその年の 6 月初頭に、1809 年以来 彼が Ferdinand von Kinsky 侯爵 (1781-1812) から受けていた年俸の支払いに関して、当時 Beethoven の秘書をしていた Franz Oliva (1786-1848) を介して、帝室王室軍の将官であった Bentheim-Steinfurth 伯爵 Friedrich Wilhelm Belgicus (1782-1839) の副官として、その頃 Praha に滞在していた Karl August Varnhagen von Ense (1785-1858) に頼み事をする。
Varnhagen von Ense は速やかに Kinsky 侯爵に会い、Beethoven の希望通りになったその結果を早速 6 月 9 日付で彼に送った手紙で知らせている。

 その後 Beethoven は 6 月 29 日に Wien を出発し、7 月 1 日から 4 日迄 Teplitz へ向かう途上、Bohemia 王国の首都 Praha に滞在した後、翌 7 月 5 日に Teplitz に到着している。
丁度 Beethoven が Teplitz に到着した日に Varnhagen von Ense は Praha から、Weimar の Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832) に宛てて、Beethoven が Goethe に対して抱いている敬意の念と、「彼が不幸な難聴に対して新たに、Töplitz [Teplitz] の温泉の治癒力を試みてみようとしている」 という事を手紙で知らせている。

 一方 Beethoven の方は同月 14 日に Teplitz から Varnhagen von Ense に手紙を書き、Goethe の „Wilhelm Meisters Lehrjahre” (Wilhelm Meister の修業時代) の欠けていた第 4 部が見つかったので、第 1 部から第 3 部迄を郵便馬車で自分の許に送ってくれる様に頼んでいる。

 その 3 日後には同地から Leipzig の楽譜出版社 Breitkopf & Härtel に宛てた手紙の中で Beethoven は、Goethe が Teplitz に滞在している事を知らせ (Goethe はこの年の 5 月初旬から滞在していた Bohemia 王国の Karlsbad から移動して、7 月 14 日に Teplitz に到着していた)、同社から既に出版されていた自作による 「6 つと 3 つの Goethe 歌曲」 の楽譜を何部か自分の許に送付してくれる様に頼んでいる。
この 「6 つと 3 つの Goethe 歌曲」 とは、1809 年に作曲されて翌年に出版された 「6 つの歌曲, op. 75」 (Beethoven は纏めて Goethe 歌曲と言っているが、この作品の内 Goethe の Text に基づくものは、Nr. 1 Mignon „Kennst Du das Land”、 Nr. 2 Neue Liebe, neues Leben „Herz, mein Herz, was soll das glauben”と、Nr. 3 Flohlied „Es war einmal ein König” の3 曲)、及び 1810 年の作曲で同じく翌年出版された 「3 つの歌曲 op. 83」 の 2 作品を指している。

 同月 19 日になって Beethoven と Goethe は Teplitz に於いて初めて出会う事になる。
Goethe が自ら記していた 「訪問者名簿」 には、同年 7 月 19 日に初めて Beethoven の名前が書かれているが、実際に訪問したのは Beethoven では無く Goethe の方であった。
丁度同じ日に温泉療養の為、Goethe が Teplitz に移る迄滞在していた Karlsbad に到着した彼の妻の Christiane von Goethe (1765-1716) に宛てて、早速その日の内に Goethe は以下の様に Beethoven との出会いを伝えている。

 


Friedrich 王子
[Sachsen-Weimar-Eisenach 大公国の Carl Friedrich (1783-1853)]
に伝えて貰いたいのだが
金の花束の下で起こったと迄は望まないにしても
他でもないあの Beethoven と共に過ごす事が出来た。
彼以上に全力で集中し
精力に溢れて誠実な芸術家を私は未だ見た事が無い。
彼が世界に対して如何に風変わりに対さざるを得ないかという事を
私は実に良く理解する事が出来る。

 

 両者は早速翌 20 日に、Teplitz の南西凡そ 6 km の距離に位置し、18 世紀に炭酸泉が発見された事からそれ以降広く知られる様になった、Bila 渓谷の Bilin (Bílina) 迄の日帰り旅行に出掛け、更にそれに続いて 21 日と 23 日には、Goethe が晩に再度 Beethoven を訪ねており、21 日には Beethoven が素晴らしい演奏を聞かせたいう Goethe による記録が残されている。

 

 


Varnhagen von Ense
及び
Johann Wolfgang von Goethe
による
手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 17«
[Archiv / Musik 2019 Nr. 8]
へ続く

 

 


上部の写真:


Bilin

銅版画

 

 

 

 

 

 

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