Kommentar

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Antonio Salieri

 


Teil 45

 

 

 

 

 

 

 


»Antonio Salieri Teil 44«
[Archiv / Kommentar 2022 Nr. 8]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について

 

 Antonio Salieri (1750-1825) が 1807 年に行った、嘗ての作品である Tragédie lyrique „Les Danaïdes” の仏語から独語版への改作を除くと、実質的には 1804 年に完成させた 2 幕の Singspiel „Die Neger” (黒人) を最後の作品として、舞台作品の作曲からは離れる事となったが、その同年に Requiem in c-moll für Soli, vierstimmigen Chor und Orchester を書いている。
この作品は将来の自身の為に作曲したものであったが、実際に彼の葬儀に於いて初めて演奏されている。

 翌 1805 年に Salieri の唯一の息子 Alois Engelbert Salieri (1782-1805) が亡くなり、また 1807 年には配偶者の Eva Maria Theresia Salieri (1754–1807) が亡くなるという不幸が続いた。
Salieri は嘗て或る伯爵令嬢に音楽を教える為に St. Laurenz 修道院に通っていた頃、同じくそこに住んでいた Eva Maria Theresia Helferstorfer と知り合い、遅くとも1774 年初頭か或いは 1773 年末には求婚している。

 それから間も無い 1774 年 1 月 24 日に、Eva Maria Theresia の父親の Carl Jacob Helferstorfer (1722-1784) が亡くなるという事があったが、同年 Salieri は Wien の帝室宮廷作曲家及び伊語劇場の Kapellmeister に任命されて、配偶者を迎えるに当たっては申し分の無い条件が整った。
その後 Carl Jacob Helferstorfer の相続の処理に暫く時間が掛ったのではないかと推測されているが、その翌 1775 年 10 月 10 日になって漸く両者は結婚している。

 Eva Maria Theresia の母親は Maria Elisabeth Catharina Timmer (1732-) であり、Elisabeth Johanna Timmer (1723-1802) の娘で、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の生徒であった、Klavier 奏者で作曲家の Josepha Barbara Auernhammer (1758-1820) と Eva Maria Theresia Salieri は、又従姉妹の関係にある。

 舞台作品の作曲から離れて以降の Salieri の作曲活動は、宗教音楽を中心としてそれ以外の世俗 Kantate や合唱曲、また時折器楽曲へと向かう様になった。
それと並行して Wien に於いて広く評価されていた、声楽と作曲の教授にも時間を注ぐ様になる。

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) が 1792 年に、1 年間以上に及ぶ London 楽旅からの帰途 Bonn に立ち寄った、Joseph Haydn (1732-1809) と知り合う事が出来、その下で作曲の勉強をする為に同年末に Wien に出て以来、Haydn からは主に対位法の指導を受けていたが、その後の 1798 年からは Salieri の下で声楽曲の作曲法の教えを受けている。

 この Salieri への師事はこの後暫くの期間継続する事になるが、Beethoven はそれに対して、1797 年から翌年に掛けて作曲した 3 曲の Sonate für Violine und Klavier (Nr. 1 in D-dur, Nr. 2 in A-dur, Nr. 3 in Es-dur, op. 12) を 1798 年に、„Tre Sonate per il Clavicembalo o Forte-Piano con un Violino” の表題の下に Salieri に献呈している。

 また Franz Schubert (1797-1828) も長い期間に亘って、Salieri の下で声楽の作曲法を習っている。Salieri は Schubert の作曲能力の高さを認めていたが、専ら独語の詩に基づく Lied の作曲を行おうとする Schubert に対して Salieri は、独語よりも伊語の方が声楽作品にはより向いていると、しばしばこれに関してだけは Schubert を批判していたという事が伝えられている。

 Salieri が音楽教授に少なからず労力を注いだという事は、この両者の他にも歌唱指導を行った歌手達と作曲を教えた生徒達共に、彼を師とする生徒の数が異例に多いという点から容易に理解する事が出来る。
Salieri に師事した後に作曲家となった者の例を挙げると、Salieri とは対照的に Beethoven の数少ない生徒の一人であった Carl Czerny (1791-1857)、Wolfgang Amadeus Mozart の晩年に教えを受け、その没後に Requiem を補筆完成させた事で広く知られている Franz Xaver Süßmayr (1766-1803)、Wolfgang Amadeus Mozart の第 6 子 4 男で、後に作曲家及び Klavier 奏者となる Franz Xaver Wolfgang Mozart (1791-1844)、Grand opéra の代表的作曲家の一人 Giacomo Meyerbeer (1791-1864)、後に Felix Mendelssohn Bartholdy (1809-1847) の師となる Praha 出身の Ignaz Moscheles (1794-1870)、そして Salieri の晩年近くに教えを受けた Franz Liszt (1811-1886) 等を始めとして、数多くの音楽家達が Salieri の下から育っている。

 

 


この先は次回
»Antonio Salieri Teil 46«
[Archiv / Kommentar 2023 Nr. 2]
へ続く

 

 


上部の写真:


Tre Sonate
Per il Clavicembalo o Forte-Piano
con un Violino

Composte, e Dedicate
al Sig.r Antonio Salieri

dal
Sig.r Luigi van Beethoven

 

 

 

 

 

 

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