Musik 2023 Nr. 1

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Leonore / Fidelio

 


Teil 1

 

 

 

 

 

 

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) の生地で、Köln 選帝侯の宮廷が置かれていた Bonn の Hofkapellmeister (宮廷楽長) の職を、作曲家 Ludwig の祖父で前任者であった Ludwig van Beethoven d. Ä. (1712-1773) が亡くなった翌年の、1774 年から務めていた Andrea Luchesi (1741-1801) が、1783 年 4 月から 1 年余りに亘って家族の事情により、彼が Köln に招聘される以前暮らしていた Venezia へ帰る為の休職を認められた期間、1778 年より Bonn の宮廷劇場に於いて公演を行っていた Gustav Friedrich Großmann (1746-1796) と、Karl Hellmuth による劇団の作曲家兼音楽監督を務め、又 1781 年からは Hoforganist (宮廷 Organist) の職にもあった、Christian Gottlob Neefe (1748-1798) がその代理として、教会音楽や劇場での公演等宮廷に関わる全ての音楽を監督する事になったが、当時の演奏習慣であった様に Cembalo で Oper 等の総譜を演奏し乍ら、舞台の練習も行う事が困難であった為に、Neefe はその生徒であった Beethoven を宮廷劇場の臨時の Cembalist としてその演奏を任せた。

 この時未だ僅か 12 歳であった Beethoven は、Oper や Singspiel の総譜を Cembalo で演奏するという能力を発揮して師の Neefe を助けたが、それは同年 5 月或いは 6 月に選帝侯 Maximilian Friedrich von Königsegg-Rothenfels (1708-1884) が、Bonn から領主司教でもあった Münster に移動して、Bonn の劇場が休場に入る迄の期間ではあったものの、若い Beethoven にとっては 当時 Bonn の宮廷劇場に於いて上演されていた、Oper や Singspiel の様々な作品を実際に体験する事が出来る貴重な機会となった。

 この時の 1782 年から翌年に掛けての Oper の上演期間中に Bonn の宮廷劇場では、1782 年 7 月 16 日に Wien に於いて初演の行われた、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の作曲による 3 幕の Singspiel „Die Entführung aus dem Serail” (Sultan 宮からの誘拐、KV 384) という当時の最新の作品を始めとして、Christoph Willibald Gluck (1714-1787)、Niccolò Piccinni (1728-1800)、Antonio Salieri (1750-1825) や André-Ernest-Modeste Grétry (1741-1813) その他の作曲家による合計 20 の作品が上演されている。

 Hoforganist の Neefe は Luchesi の不在中その代理として、毎日午前中に行われていた歌手達の練習を始めとして、Hofkapellmeister に課される業務を全てこなさなければならず、それ迄彼が経験しなかった様な極めて多忙な日々を送っていた。Beethoven は Neefe から音楽の指導を受け乍ら、彼の助手として劇場に於ける Cembalist を始めとして、無給でその仕事を手伝うという事をしていたが、師の Neefe 及び Bonn の侍従長官であった Salm-Reifferscheidt-Bedburg 伯爵 Siegmund (1735-1798) による選帝侯への推薦も手伝って、翌 1784 年 2 月に Beethoven は 13 歳にして、給与を支払われる第 2 Hoforganist の地位に任命される。

 第 2 Hoforganist の業務として Beethoven は、主に宮廷の教会音楽に従事する事となったが、生憎この決定が選帝侯によって行われて間も無く、同年 4 月 15 日にその選帝侯 Maximilian Friedrich が亡くなった為に、俸給の額が暫くの間は決定されないという状態が続いた。

 Maximilian Friedrich の後任として Köln 選帝侯及び大司教、並びに Münster の領主司教位を受け継いだのは、前皇帝 Franz I. Stephan (1708-1765) と Austria 大公女 Maria Theresia (1717-1780) との間の第 16 子 5 男で、現皇帝 Joseph II. (1741-1790) の末弟に当たる、当時 27 歳の Austria 大公 Maximilian II. Franz (1756-1801) であった。

 同年 4 月 22 日に Wien を出発して同月 27 日に Bonn に到着した Maximilian Franz は早速、前任者の晩年にかなり深刻化していた侯国の財政の改善に着手し、その為に先ず宮廷の財務状況と選帝侯に仕えている家臣及び使用人等に関する詳細な報告書を作成させた。その 1 つとして作成された宮廷音楽家に関する報告書に於いて、Tenor 歌手であった父親の Johann van Beethoven (1740-1792) に関する記述に並んで Ludwig に関しては、「 2 年間仕えているが無給で、Kapellmeister の Luchesi が不在中には Orgel の演奏を担当し、有能で落ち着いた優れた演奏を行う」 という報告がされている。

 その後同年 6 月 27 日付の、当時四半期毎に行われるのが慣習となっていた、この年第 3 回目の俸給支払に先立って作成された、宮廷音楽家の俸給一覧表に於いて、Ludwig に対して年俸 150 Florin の支払いが決定された事が記録されている。

 

 


Bonn の宮廷音楽家に関する報告書の
原文は省略
日本語訳は執筆者による

 

 


この先は次回
»Leonore / Fidelio Teil 2«
[Archiv / Musik 2023 Nr. 2]
へ続く

 

 


上部の写真:

Marktplataz in Bonn


Köln 選帝侯の宮廷画家
François Rousseau (ca. 1717-1804)
の絵画に基づき
Balthasar Friedrich Leizel (-1802)
による
彩色銅版画

ca. 1780

 

 

 

 

 

 

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