Musik 2022 Nr. 7

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93

 


Teil 40

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 39«
[Archiv / Musik 2022 Nr. 6]
より続く

 
 Ludwig van Beethoven (1770-1827) が自作品の London に於ける出版を目指して、1815 年 6 月 1 日に当地の出版社への仲介を依頼する手紙を書いた、Beethoven と同郷の Johann Peter Salomon (1745-1815) は、London の New Bondstreet に於いて楽譜の出版と販売、及び楽器販売も行っていた Robert Birchall (ca. 1750-1819) に連絡を取っている。

 同年 10 月 28 日に Beethoven が Wien から London の Birchall に宛てて書いた手紙の中で彼は、「 [・・・] „Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria” [Wellington の勝利、又は Vittoria の戦い、op. 91] の Klavier 編曲譜は、既に何日も前に London に向けて発送されている事をお知らせします。 [・・・] 可能な限り急いで製版をし、当地 [Wien] の出版社に提示する事が出来る様、[London に於いて] あなたが出版されるつもりの日程を決めてお知らせください [・・・] 」 と述べている。

 これは Beethoven が London に於ける自作品の出版を目論んだ時から考えていた様だが、この年に London の出版社に出版権を売ろうとした作品は全て既に、大陸に於ける出版権を Wien の Sigmund Anton Steiner (1773-1838) に売り渡していた為に、夫々での出版が競合しない様、出版開始日を同日に揃えようとしていた事による。

 これに続けて更に Beethoven は 「間も無くあなたが受け取る事になるそれに続く 3 つの作品については、それ程急ぐ必要はありません。 [これ等の作品を出版する] 日程については、私自身が決定する自由を有したいと思います。ー 勝利と戦いの Symphonie [op. 91] がどうしてより急いでいるのにかに関しては、Salomon 氏があなたに詳しく説明してくれるものと思います。ー それでは [あなたが間も無く] 手に入れられる作品の出版日に関する速やかなお返事をお待ちしています」 と書いている。

 ここで Beethoven が触れている op. 91 以外の 3 つの作品とは、Birchall がこの時 op. 91 の Klavier 編曲譜と合わせて購入した、Symphonie in A-dur (Nr. 7, op. 92) の Klavier 編曲譜、Klaviertrio in B-dur (Nr. 7, op. 97) と、Sonate für Klavier und Violine in G-dur (Nr. 10, op. 96) の 3 曲であり、op. 91 の Klavier 編曲譜も含めて何れも、「United Kingdom of Great Britain and Ireland」 に於ける出版権がその対象となっていた。

 この時の London に於ける出版に関して Beethoven は、Salomon と同様に George Smart (1776-1867) にも出版社への仲介を依頼していた訳だが、上記の手紙の内容から判断して結果的には、Salomon の働き掛けが Birchall による出版へと繋がって功を奏したと推定する事が出来る。

 Beethoven が自作品の London に於ける出版を目指して、George Smart と Johann Peter Salomon に出版社への仲介を依頼した際の、彼が出版権の販売を希望した作品の目録には、 Symphonnie in F-dur (Nr. 8, op. 93) も含まれていた訳だが、その総譜や Klavier 編曲譜は今回 Birchall が買う運びとなった作品の中には含まれていない。

 この作品に関して翌 1816 年に Beethoven は、その大陸に於ける出版権を買い取った Sigmund Anton Steiner に対して製版の為の総譜を送っているが、それに添えた手紙の中で Beethoven は、取り敢えず先ずは写譜された総譜を送るけれども、それに自分は目を通した訳では無いので、恐らく間違いが含まれているであろう事、そして若しこの作品の Klavier 編曲譜を作成するのであれば、[Beethoven による修正が行われた自筆譜を基に写譜された] この楽譜を基にして作る様にという事を指示している。

 この時に Beethoven が Steiner に送った総譜は、1806 年から 1815 年迄の期間、Steiner の出版社を手伝うという事も行っていた、作曲家の Anton Diabelli (1781-1858) が写譜した総譜であろうと推測されている。

 

 


Beethoven
による
Robert Birchall
及び
Sigmund Anton Steiner
に宛てた
手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 41«
[Archiv / Musik 2022 Nr. 8]
へ続く

 

 


上部の写真:

Sigmund Anton Steiner


Austria の画家で石版画家の
Joseph Eduard Teltscher (1801-1837)
の絵画に基づき
自身によって製作された
石版画

ca. 1825

 

 

 

 

 

 

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