Musik 2023 Nr. 3

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Leonore / Fidelio

 


Teil 3

 

 

 

 

 

 

 


»Leonore / Fidelio Teil 2«
[Archiv / Musik 2023 Nr. 2]
より続く

 

 Bonn 時代の Ludwig van Beethoven (1770-1827) は、1781 年に高齢となった Gilles van den Eeden (ca. 1708-1782) の後任として、Bonn の Hoforganist に就任する Christian Gottlob Neefe (1748-1798) に、Klavier と Orgel の演奏、並びに通奏低音及び和声を習っていた。
Neefe は 1783 年 3 月 2 日付で、この年から Hamburg に於いて Carl Friedrich Cramer (1752-1807) によって刊行されていた音楽雑誌に匿名で寄稿した文章の中で、当時 12 歳の Beethoven に関して、その Klavier 演奏の能力の高さを褒め称え、又 Klavier の為に作曲した作品が出版される運びになった事を伝えた上で、「この少年の才能は [更なる勉強の為に] 旅行をする事が出来る為の援助を受けるに値します。若し彼が [勉強を] 始めた時の様に進捗を続けて行けば、必ず第 2 の Wolfgang Amadeus Mozart となる事でしょう」 と記している。

 それから 4 年後の 1787 年の春になって遂に Beethoven は、Neefe が以前に書いていた更なる勉強の為の旅行に出る事が出来る様になり、恐らく Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) に習う事を第 1 の目的として Wien に向かう。
Beethoven がこの旅行に出た為に Bonn に不在となる期間も、第 2 Hoforganist としての役職に対する報酬は、中断されずに支払われている事が分かっているが、それ以外のこの時の旅行に関わる費用を Köln 選帝侯 Maximilian Franz von Österreich (1756-1801) が支払ったという記録は無く、又通常ならば残されている筈の、Beethoven による旅行期間中の休職の為の嘆願書も発見されていない。その為にこの時の旅行費用の援助を誰から得たのか、或いは何時頃どの様に調達したかについては明らかになっていない。

 更にはこの時の Wien 旅行の日程に関しても具体的には分かっていない。恐らく早ければこの年の 3 月中に Bonn を発ち、Wien には遅くても 4 月 7 日頃には到着していたであろうと推測されている。
本来であればある程度の纏まった期間の勉学が計画されていたであろうと考えられるが、Beethoven の母親 Maria Magdalena van Beethoven (1746-1787) の危篤の知らせが Wien に届いた事によって、Ludwig は当初の計画を中断して急遽 Bonn へ帰らざるを得ない状況となる。
Bonn への帰途、同年 4 月 25 日に München、又その翌日に Augsburg を経由した事が分かっているので、この時の Wien 滞在は最長でも 4 月 25 日迄の短期間であったという事が推定出来る。

 この時の Wien 滞在中に Beethoven は Mozart の前で Klavier の演奏を披露する機会があったが、準備していたその演奏には大した関心を示さなかったものの、それに続いて行った即興演奏を Mozart は大変高く評価して、何れ Beethoven が世界的に名を成すであろうと言ったという逸話は、Kiel 出身の文献学者及び古典考古学者の Otto Jahn (1813-1869) による、1856 年から 1859 年に掛けて 4 巻に分冊して、Leipzig の Breitkopf & Härtel より出版された „Biographie Mozarts” に端を発するが、この伝記の初版に於いて Jahn はこの出来事の時期を 1786 年の冬としており、又この記述の具体的な典拠は明らかにされておらず、この件に関する Mozart の家族や、又この時に隣室に控えており、Mozart が Beethoven について称賛する言葉を言いに行ったとされている友人達も含めて、それ以外の人物による記録が全く無いので、この逸話が事実に基づいているのかどうかについては明らかにはなっていない。

 それに対して Beethoven の数少ない生徒の1人であった Ferdinand Ries (1784-1838) と、Beethoven の Bonn 時代からの親友であった Franz Gerhard Wegeler (1765-1848) の共著による、「Beethoven に関する伝記的覚書」 に於いて、Ries はこの時の Beethoven の Wien への旅行に触れて、「Beethoven の初めての Wien 滞在に於いて、彼は何回か Mozart による教えを受けたが、Beethoven が不満を漏らしていた様に、Mozart が Beethoven に [個人的に Klavier の] 演奏を聴かせる事は 1 度も無かった」 と書いている。
この事から丁度この時期に „Don Giovanni” の作曲に取り組み始めた Mozart が Beethoven に何回か教えたというのは、Klavier 演奏では無く作曲に関してであったという事が分かる。

 

 


Christian Gottlob Neefe
及び
Ferdinand Ries
による
記述の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Leonore / Fidelio Teil 4«
[Archiv / Musik 2023 Nr. 4]
へ続く

 

 


上部の写真:

Cramer の音楽雑誌


Hamburg

1783

 

 

 

 

 

 

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