Musik 2020 Nr. 1
Ludwig van Beethoven
Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93
Teil 18
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 17«
[Archiv / Musik 2019 Nr. 8]
より続く
1809 年 9 月から翌年に掛けて、Wien の宮廷劇場の 1 つであった Burgtheater からの委嘱によって作曲された、Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832) による悲劇 „Egmont” の為の、Ouvertüre 及び 9 曲の Soprano-Solo と Orchester による付随音楽 (op. 84) の総譜の写しを Goethe に送る手配をしたという、1811 年 4 月 12 日付けの Ludwig van Beethoven (1770-1827) からの手紙を、同年 5 月 2 日に Beethoven より依頼を受けた Franz Oliva (1786-1848) を介して受け取った Goethe は、実際にその楽譜が自分の許に届けられるのに先立って、同年 6 月 25 日に Beethoven に宛てて好意に溢れた御礼の手紙を書いている。
Goethe はその年の 6 月後半に、夏の休暇で滞在していたBohemia 王国の Karlsbad に於いて、Beethoven の重要な後援者であった Ferdinand von Kinsky 侯爵 (1781-1812) と、Karl Alois Lichnowsky 侯爵 (1761-1814) に会っているが、この時の Beethoven に宛てた手紙を書いて発送したのもその Karlsbad からで、Sachsen-Weimar-Eisenach 公国の枢密顧問官及び財務大臣であった Goethe は、1791 年にその首都 Weimar に於いて創設された宮廷劇場の監督官も務めており、そのためにこの時の手紙の中で Goethe は、Beethoven が送ったという付随音楽は、次回の Weimar に於ける „Egmont” の新演出上演の際に、実際に演奏するつもりである事を書き添えている。
以前から敬愛する大変高名な詩人の Goethe と知り合える事を望んでいた Beethoven は、しかしだからと言ってそれだけの為に自身が Weimar に迄出向く事は出来なかったので、Goethe が夏季休暇の時期に Teplitz を訪れる事を知っていた Beethoven にとって、前年の夏の季節にも彼が滞在した事のある Teplitz という土地は、その為の絶好の機会を提供してくれる場所であった。
その為の下準備を周到に行おうとした Beethoven は、上記の Franz Oliva の紹介を介して知り合った、自身と同じく Goethe の敬愛者の 1 人で、軍隊の士官で外交官でもあった Karl August Varnhagen von Ense (1785-1858) に、自身の Goethe に対する尊崇の念を伝えると共に、実際に直接出会う事になれば最早隠す事は不可能となる自身の聴覚喪失を、Goethe に知られる事になるその準備をして貰いたいと依頼し、Varnhagen von Ense はそれを受けて、Goethe に宛てた手紙の中で以下の様に書いている。
Beethoven は彼の不幸な聴覚喪失に対して新たに
Teplitz の温泉の治癒力を試そうとしています。
彼の生まれながらにしての粗暴さに只好都合なだけのこの聴覚喪失は
彼がその好意を受け容れて懇意な関係になる事の出来ない人々に対しては
殆ど付き合う事を不可能にしてしまいます。
しかしそれにも拘らず楽音に関して彼は
最も弱い音でも聞き取る能力を保持しています。
会話については言葉は無理であっても
その音の流れは常に聴き取っています。
Beethoven は Praha での短期滞在を経て、1812 年 7 月 5 日に Teplitz に到着しているが、それから暫く経った同月 14 日に、その頃 Praha に駐在していた Varnhagen von Ense に宛てて手紙を書き、「Goethe の „Wilhelm Meisters Lehrjahre” [Wilhelm Meister の修業時代] の欠けていた第 4 部が見つかったので、第 1 部から第 3 部迄を郵便馬車で自分の許に送ってくれる様」 頼んでいる。
Beethoven はこの様な Goethe との出会いに向けた準備を経て、Teplitz に於いて当地への Goethe の到着を待っていた。
一方 Goethe の方は、当時既に作曲家としての名声を Wien 以外の土地でも得始めており、至る所で人々が話題にしている Beethoven と、個人的に知り合う事は満更でも無いという風に考えていた。
Karl August Varnhagen von Ense
及び
Ludwig van Beethoven
による
手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による
この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 19«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 2]
へ続く
上部の写真:
Teplitz
彩色腐食銅版画
ca. 1830