Musik 2020 Nr. 5
Ludwig van Beethoven
Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93
Teil 22
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 21«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 4]
より続く
Ludwig van Beethoven (1770-1827) が 1812 年の夏季休暇の滞在先であった Bohemia 王国の Teplitz に於いて知り合った、皇帝侍医の Jakob Staudenheimer (1764-1830) の奨めによって、同年 7 月 27 日に Teplitz から Kaarlsbad へ、更に 8 月 8 日には Franzensbad へ移動しているが、そこでの 1 箇月間の滞在を経て 9 月 8 日に先ずは Karlsbad へ戻り、そこで短期間 Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832) に再会した後、同月中旬には Teplitz に帰っている。
温泉治療の為に Bohemia 王国内の温泉地を回った Beethoven ではあったが、9 月に当初の滞在先であった Teplitz に戻った時の彼の健康状態は、日によっては Bett から起き上がる事も出来無い程に優れず、前年の夏に Teplitz で知り合い、この時も丁度同地に滞在していた歌手の Amalie Sebald (1787-1846) に世話をして貰っている。
9 月 16 日に Beethoven は Teplitz に於いて、Amalie Sebald に宛てて体の不調を訴える最初の手紙を書いている。
その翌日には Leipzig の楽譜出版社 Breitkopf & Härtel に宛てて、Bett に横になって手紙を書いているという体の状態である事、何れ自身が Leipzig に行けるかも知れないという事等に並んで、決して口外しない様にと断り乍ら、Wien を離れるかもしれないという彼の計画に対する意見を求める手紙を送っている。
その後の Beethoven の体調は比較的早くに回復した様子で、9 月 29 日に Teplitz を出発して Wien へ一旦戻り、その後直ちに弟の Nikolaus Johann (1776-1848) が薬局を経営していた Linz に向かう。
Beethoven が翌月 10 月 5 日の数日前に Linz に到着したという事が、その日付の Linz の音楽新聞上で伝えられており、Nikolaus Johann が自宅に用意した、Donau 河やその船着き場を見晴らす事の出来る広い部屋に滞在した。
この時 Beethoven は毎日の様に、1797 年以来 Linz の司教座聖堂の楽長職を務めていた、Franz Xaver Glöggl (1764-1839) の自宅を訪れて、度々食事も共にしている。
Glögg は彼が蒐集した楽器の中に、通常の Alto Trombone, Tenor Trombone と Bass Trombone の外に、Soprano Trombone や Quart Trombone も持っていたところから、この時 Beethoven にこれ等の Trombone の為の Equale の作曲を依頼した。
Equale とは元々はその名前が示す様に、同種の声部或いは楽器の Ensemble による作品を意味するが、18 世紀になると Trombone を始めとする同種の管楽器の Ensemble による作品を指す様になって行った。
この Equale が 「万聖節」 の翌日で、死者の霊魂のために祈りを捧げる日とされている 11 月 2 日の 「万霊節」 と、更に葬送音楽として葬儀の開始前、及び死者の為の典礼に引き続いて行われる葬列の際に演奏されるというのが、Austria の中でも特に Linz に於いては良く行われていたというのがその特徴となっている。
Glöggl は Beethoven が Linz に到着した凡そ 1 箇月後に万霊節を控えていた事から、この意味での Equale の作曲を依頼したと考える事が出来るが、Franz Xaver Glöggl の息子で、後に Wien に出て楽譜出版社を営んだ Franz Glöggl (1796–1872) の後の回想録によると、Beethoven はこの時に Linz に於いて葬儀の際に演奏されている Equale というものを聴きたいと望んだ為に、父親の Franz Xaver Glöggl は Beethoven が食事の為にGlöggl 家を訪れたある日の午後に、3人の Trombone 奏者を自宅に呼んで Beethoven に Equale を聴いて貰っている
Beethoven はその後 Glöggl の求めに応じて 4 本の Trombone による 3 曲の Equale を作曲し、その年の万霊節の日に実際に Linz に於いて演奏されている。
その内 1 曲目 (Andante in d-moll ) と 3 曲目 (Poco sostenuto in B-dur ) は Ignaz von Seyfried (1776-1841) によって、51 番目の詩編の „Miserere mei, Deus” (神よ、わたしを憐れんでください) の歌詞を付して男声合唱用に編曲され、1827 年 3 月 29 日に行われた Beethoven の葬儀の際に、原曲の Trombone による演奏と、この男声合唱による演奏が交互に行われている。
残る 2 曲目 (Poco adagio in D-dur) は、Beethoven の没後丁度 1 年目に当たる翌 1828 年 3 月 26 日に、Wien の Währinger 墓地に於いて行われた Beethoven の墓石の除幕式の際に、同じく Seyfried によって男声合唱用に編曲された版が演奏されている。
この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 23«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 6]
へ続く
上部の写真:
Beethoven の葬儀の際の葬列
Franz Xaver Stöber (1795–1858) による水彩画