Musik 2022 Nr. 4
Ludwig van Beethoven
Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93
Teil 37
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 36«
[Archiv / Musik 2022 Nr. 3]
より続く
Ludwig van Beethoven (1770-1827) は Symphonie in F-dur (Nr. 8, op. 93) を含むこの頃迄に完成していた合計 13 の作品が、Wien の Sigmund Anton Steiner (1773-1838) の下で出版される事が決まると、これ等の作品を London に於いても同時に出版する事を目論んで、英語が堪能であった Johann von Häring の手を借りて、1815 年 3 月 16 日に書いた手紙を London の George Smart (1776-1867) に宛てて送っている。
これに先立って Smartは 同年 2 月 13 日に London の Drury Lane Theatre に於いて、Beethoven の作曲による Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria (Wellington の勝利、又は Vittoria の戦い、op. 91) の演奏会を開いており、それが大きな成功を収めた事が翌 3 月 2 日付の Wien 新聞紙上で報じられており、それを通してこの事を知っていた Beethoven は、先ず今回の手紙でその事を喜ぶと同時に、自身の作品を採り上げて貰った事に対する感謝の意を Smart に伝えている。
それに続いて次には、同作品の Klavier 編曲譜を Beethoven は既にこの時点で作成していたが、これに先立つ 1814 年初頭にその総譜の写しを、1811 年以降病気の為に統治不能になっていた England 国王 Georg III. (1738-1820) に代わって同国の摂政を務めていた、その長男の George Augustus Frederick (1762-1830、1820 年より England 国王 Georg IV.) に送っており、その返事を待っていたが未だに何の音沙汰も無く、しかし摂政王太子がこの作品の献呈を受け入れるかどうかという点に限らず、どの様にそれを受け止めたのかが明らかになる迄は、敢えてこの楽譜の出版を敢行するというつもりは無いものの、何箇月待っていても返答が全く無いので、どの様にしたら良いだろうかという事を相談している。
そして今回の手紙の本来の目的であった、自作品の England の出版社に対する出版権の売渡の希望を述べ、London に於ける各作品の出版の日程を伝えて貰えば、その日程以前に Wien に於いて同じ作品が出版されるという事の無いようにするという、大陸と London の双方に於ける同時出版の計画を伝えている。そして最近の 4 年の間に作曲した作品として以下の様な、Beethoven が London の出版社に対して希望する販売価格を添えた、計 11 項目に亘る作品目録を書いている。
1. Streichquartett in f-moll „Serioso” (Nr. 11, op. 95) 40 Guin
2. Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria (op. 91) 総譜 70 Guin
3. 同 Klavier 編曲譜 30 Guin
4. Symphonie in A-dur (Nr. 7, op. 92) 総譜 70 Guin
5. 同 Klavier 編曲譜 30 Guin
6. Symphonie in F-dur (Nr. 8, op. 93) 総譜 40 Guin
7. 同 Klavier 編曲譜 20 Guin
8. Klaviertrio in B-dur (Nr. 7, op. 97) 40 Guin
9. 以下3曲の Ouvertüren の総譜 各 30 Guin
Die Ruinen von Athen, Ouvertüre (op. 113)
Namensfeier, Ouvertüre (op. 115)
König Stephan, Ouvertüre (op. 117)
10. 上記3曲の Ouvertüren の Klavier 編曲譜 各 15 Guin
11. Sonate für Klavier und Violine in G-dur (Nr. 10, op. 96) 25 Guin
この時の Smart に宛てた手紙は、Beethoven に依頼されて Häring が英語で書いたものではあるが、Beethoven の口述をそのまま訳して筆記したものでは無く、Beethoven の意図を汲んで Häring が自身の言葉で自由に書いている。その為に上記の様な Beethoven の本来の意図とは別に、明らかに Häring が個人的に伝えている事として、Beethoven による England への渡航の計画がこの手紙の中に書かれている。
Beethoven は Häring の言葉によると、常時 England に何れは行きたいという事を話しており、それは実際にも彼の晩年に至る迄決して諦める事は無かったという事が分かっているが、Häring はこの頃の Beethoven の耳疾の悪化から考えれば、この愛らしい計画の実行は無理であろうと Smart に伝えている。
この手紙の末尾には Beethoven 自身による署名が付されているが、これ等の Häring が英語で書いた内容を理解する事は出来なかったと推定する事が出来る。
Beethoven 及び Häring による
George Smart に宛てた
手紙の原文は省略
日本語訳は執筆者による
この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 38«
[Archiv / Musik 2022 Nr. 5]
へ続く
上部の写真:
Beethoven から
George Smart に宛てた手紙
1815 年 3 月 16 日付
第 2 頁