Kommentar 2020 Nr. 5

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Antonio Salieri

 


Teil 25

 

 

 

 

 

 

 


»Antonio Salieri Teil 24«
[Archiv / Kommentar 2020 Nr. 4]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について

 

 1788 年 2 月に Giuseppe Bonno (1711-1788) の後任として、32 歳で Wien の帝室宮廷楽長に任命された Antonio Salieri (1750-1825) としては、早速積極的な活動を開始して自身の能力を披露したいところではあったが、生憎同月 8 日に皇帝 Joseph II. (1741-1790) によって Osmân 帝国に対する宣戦布告が行われた事により、Austria 帝国はこの時戦争状態となっていて、その為に特に文化活動面に於いては大きく制限される状況となってしまう。

 同年 2 月末には皇帝自身が Wien を離れて戦線へ赴いているが、その戦地の陣営より指令を発して、Wien の伊語の劇場は閉鎖し、比較的少ない経費で運営できる独語の劇場のみを開場する様指示している。
これによって伊語劇場に出演していた音楽家達は、この年の公演期間の終了を以て全員その契約が解除される事となった。

 劇場に於ける Oper の上演が滞り無く行われる事を目指していた Salieri は、この頃嘗て上演された作品を改作して再利用する事を考え、3 幕の Dramma giocoso „Il talismano” (護符) を再度採り上げる事にした。
この作品は „Don Giovanni” の原作者としても知られる、Italia の劇作家及び台本作家の Carlo Goldoni (1707-1793) が台本を執筆し、それに対してその第 1 幕は Salieri が、第 2 幕と第 3 幕は Giacomo Rust (1741-1786) が夫々作曲を担当した作品で、1779 年 8 月 21 日に Milano の Teatro della Canobbiana の杮落しの際に、同劇場に於いて初演されている。

 今回 Salieri がこの作品に改めて取り組むに際しては、台本の改作を Wien の帝室詩人であった Lorenzo Da Ponte (1749-1838) に依頼し、それに対して全編に亘る作曲を Salieri が新たに行った。
この改作版の „Il talismano” は 1788 年 9 月 10 日に、Wien の Burgtheater に於いて初演が行われたが、Wien の聴衆には予想以上に気に入られ、その後の 10 年以上の期間に亘って、定期的に上演される人気ある作品となった。
Wien 以外では 1789 年に Sachsen 選帝侯国の Dresden と、Braunschweig-Wolfenbüttel 侯国の Braunschweig で、また 1796 年には Preußen 王国の Berlin に於いて上演されている

 因みに „Il talismano” の 1779 年版で Salieri と共作した Roma 生まれの Giacomo Rust は、Venezia を中心に Oper の作曲家として活動していた人物だが、その名は次第に Italia 半島外に於いても知られて行き、ひいては Salzburg の大司教の宮廷に招かれるようになる。その結果 1777 年 6 月 12 日には Salzburg 大司教の宮廷楽長に任命されるが、その年の年末には健康上の理由によってその職を辞さざるを得なくなり、間も無くして Venezia に戻る。その後 1783 年からは Barcelona の司教座聖堂の楽長職に就任し、その後の生涯をそこで過ごしている。

 Salieri が „Il talismano” に次いで取り組んだのは、2 幕の Dramma eroicomico „Cublai, gran kan de’ Tartari” (Tatar の皇帝 Cublai) であったが、その台本を執筆したのは 1785 年の Dramma giocoso „La grotta di Trofonio” (Trofonius の洞窟) と、その翌 1786 年の Divertimento teatrale „Prima la musica poi le parole” (最初に音楽、それに次いで言葉) に於いて既に 2 回共同作業を行っていた、Giovanni Battista Casti (1724-1803) であった。

 以前の両作品に於いて共に成功を収めた 2 人ではあったが、今回の両者による 3 作目の作品に関しては、この時の政治状況が大きく影響を及ぼす事となった。というのはこの作品の物語の中で Casti は、嘗ての Russia 帝国皇帝 Katharina II. (1729-1796) を風刺する内容を織り込んだ為に、当時 Russia 帝国と同盟関係を結んで Osmân 帝国と戦争状態にあった Austria 帝国の皇帝 Joseph II. としては、同盟国に不快感を与えるような作品の上演を認める事は出来ず、この作品は Salieri の生前中に検閲当局から上演の許可を得る事は叶わず、その後 200 年以上に亘って全く忘れ去られる事となってしまった。

 

 


この先は次回
»Antonio Salieri Teil 26«
[Archiv / Kommentar 2020 Nr. 6]
へ続く

 

 


上部の写真:

Cublai, gran kan de’ Tartari


自筆譜第 1 頁

1788

 

 

 

 

 

 

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