Musik 2022 Nr. 1

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93

 


Teil 34

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 33«
[Archiv / Musik 2021 Nr. 8]
より続く

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) による F-dur の 2 作目となる Symphonie の作曲は 1812 年中に完了し、翌 1813 年の春にその初演を計画していたが、その為の会場の手配が Beethoven の思惑通りには進まず、実際に初演が行われる迄には更に 1 年近くの時間が経過する事となる。

 1814 年 2 月 24 日の Wien 新聞紙上に、次の日曜日の同月 27 日に Wien の 王宮内の Großer Redoutensaal に於いて、Beethoven による新作の Symphonie と Terzett の初演を含む演奏会開催の広告が掲載されている。

 同月 Beethoven は、Joseph Haydn (1732-1809) の推薦によって、1804 年より Esterházy de Galantha 侯爵 Nikolaus II. (1765-1833) の宮廷楽団の Konzertmeister を、又 1809 年からはその宮廷楽長を務めていた Johann Nepomuk Hummel (1778-1837) に手紙を書いて、「君の友 Beethoven」 という署名と共に、この演奏会への出演を依頼している。

 同年 2 月 27 日に Beethoven の指揮の下に開催されたこの演奏会に関する記事を発表した、Leipzig の Allgemeine Musiklaische Zeitung (一般音楽新聞) によると、その際に演奏された曲目は以下の通り。

 

         1. 新作の Symphonie (A-dur)、再度多くの喝采を得る
         2. 全く新しい伊語による Terzett
         3. 全く新しく今迄に演奏された事の無い Symphonie (F-dur、4分の3拍子)
         4. 最後に Wellingtons Sieg

 

 この時の Symphonie in F-dur の初演に関して Allgemeine Musiklaische Zeitung の執筆者によると、この演奏会の聴衆にとっての最大の関心の的は、Beethoven の新作品となるこの Symphonie in F-dur であって、その期待も大変大きいものであったが、1 回聴いただけでそれを満足させるのは難しく、この作品が受けた拍手は、聴衆全員に感動を引き起こしたと言う様な作品が受けるそれに相当するものでは無く、従って世間を沸かせる大評判となるようなものでも無かった。

 これに続けてこの記事の執筆者の意見としては、その原因がこの作品の質に因るという事は全く無く、何故ならこの作品には他の Beethoven による同種の作品と同様に、彼の独創性を常に証明する独自の精神に溢れているが為で、寧ろその原因の 1 つとしては、この Symphonie を A-dur の Symphonie の後に演奏したという余り都合の良くない判断にあり、また他方この作品の持つそれへの反作用を避ける事の出来無い過度の秀麗さにあるとし、若しこの Symphonie が後日単独で演奏される機会があれば、成功を収めるであろう事に疑いは無いと書いている。

 この時の演奏会の為には、Terzett と Symphonie in F-dur の楽譜の写譜が必要であり、合計 452 頁の写譜に対して 90 Gulden 24 Kreuzer の費用が支払われ、また Orchester に対して支払われたのは合計で 344 Gulden であり、その内 7 人の 1. Vn. と 6 人の 2. Vn. 奏者達に夫々 5 Gulden 又は 7 Gulden が支払われた事が記録されている。
実際にこの時の演奏に参加した弦楽器奏者の人数に関しては、1. Vn.、 2. Vn.、Va.、Vc.、Kb. の順に 18、18、14、12、7 人であった事を Beethoven 自身が記録に残しているが、この両者の記録に基づいてこの時の演奏会には、職業演奏家よりも多くの素人の奏者が演奏に参加していた事が分かる。

 この演奏会に於ける Symphonie in F-dur に関して、Beethoven の数少ない生徒の 1 人であった Carl Czerny (1791-1857) が後に回想したものによると、その演奏は全く Beethoven の気に入るものでは無く、「 [この Symphonie は] 遥かにもっと良いものだ」 と言って大変憤慨していたという。

 

 


Allgemeine Musiklaische Zeitung
による記事
及び
Carl Czerny による回想録の
原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 35«
[Archiv / Musik 2022 Nr. 2]
へ続く

 

 


上部の写真:

Großer Redoutensaal


Wien

1815

 

 

 

 

 

 

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