Kommentar 2020 Nr. 2
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 22
»Antonio Salieri Teil 21«
[Archiv / Kommentar 2020 Nr. 1]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
帝室詩人として Wien の伊語劇場の台本作家を務めていた Lorenzo Da Ponte (1749-1838) が、Antonio Salieri (1750-1825) の為に 5 幕の dramma tragicomico „Axur, re d’Ormus” (Ormus の王 Axur)、Vicente Martín y Soler (1754-1806) の為に 2 幕の Dramma giocoso „L’arbore di Diana” (Dianaの木)、及び Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の為には 2 幕の Dramma giocoso „Il dissoluto punito ossia Il Don Giovanni” (処罰された放蕩者、又は Don Giovanni) という、計 3 つの作品の台本執筆を並行して行い忙しくしていた 1787 年の、10 月 1 日に先ず Martín y Soler による „L’arbore di Diana” の初演を Wien に於いて成功裏に終えると、早速これに次いで初演を控えていた Mozart の „Don Giovanni” の為に、Bohemia 王国の首都 Praha へ向かった。
Nostitz-Rieneck 伯爵 Franz Anton (1725-1794) によって、これより 4 年前の 1783 年に完成されたばかりの、Praha の Nationaltheater に於いて行われていた „Don Giovanni” の練習に立ち会う為に、Praha に移動した Da Ponte ではあったが、彼が Praha に到着して間も無く、至急 Wien に戻る様にという指示が彼の下に届く。
この時の Da Ponte への通達というのは、皇帝 Joseph II. (1741-1790) が彼の甥で、後に皇帝 Franz II. となる Austria 大公 Franz Joseph Karl (1768-1835) と、Elisabeth von Württemberg (1767–1790) との結婚の御祝いの為に、„Axur, re d’Ormus” の制作を Da Ponte と Salieri に委嘱した訳だが、いよいよその結婚式の日が近づいて来て、„Axur, re d’Ormus” の初演に向けた練習が開始された為であった。国家行事として行われるこの公演を控えた練習の為であれば、宮廷詩人としてこの指示には従わざるを得ず、Praha から急遽 Da Ponte は Wien に戻るが、彼の到着後間も無くその結婚式が延期されるという生憎な事になる。
一方 Praha に於いては皇帝 Joseph II. の弟で、その後継者として次の皇帝 Leopold II. となる Toscanaa 大公 Peter Leopold (1747-1792) の長女、Maria Theresia von Österreich (1767–1827) と、後に国王となる Sachsen 王子 Anton (1755-1836) の Praha 訪問に合わせて、同年 10 月 14 日に „Don Giovanni” の初演が行われる事が予定されていた。
この Maria Theresia von Österreich は同年 9 月 8 日に、Toscana 大公国の首都 Firenze に於いて、Anton の代理人とによる結婚式を行い、その後故国から Sachsen 王国の Dresden に向かう旅の途上 Praha に立ち寄り、そこ迄彼女を迎えに来る Anton と共に、Dresden に向かうという事になっていた。
両者の正式な結婚式はその後同年 10 月 18 日に Dresden に於いて行われている。
この両者の Praha 訪問に合わせて予定されていた „Don Giovanni” の初演ではあったが、Mozart 自身の記録に拠ると、Praha の音楽家の技量は Wien に於けるそれ程器用ではないので、短時間でこの作品を仕上げる事は叶わず、初演が予定されていた当日には „Don Giovanni” の代わりに、この前年に Wien に於いて初演を迎えていた、4 幕の Opera buffa „Le nozze di Figaro” (Figaro の結婚) が Mozart 自身の指揮によって上演され、Maria Theresia と Anton の 2 人は Praha からの結婚の御祝いとして行われたこの公演に臨んだ。
一方 „Don Giovanni” の方はその当初の予定よりも 2 週間遅れて、同月 29 日に Nationaltheater に於いて、同じく Mozart の指揮の下に初演が行われた。
Mozart はこの初演に於いて最大の称賛を得たと彼自身の記録に残されているが、当地の新聞 k. k. Prager Oberpostamts-Zeitung の批評に於いても、演奏する事の非常に難しいこの作品が、短い練習期間であったにも関わらず、歌手及び Orchester の全員と Mozart による全力が注がれた演奏によって、質の高い上演が行われた事に各人が驚いており、聴衆からは異例の称賛が送られた事、また嘗て Praha に於いてこの様な公演が行われた事は無かったと、見識者や音楽家達が語っているという事等が伝えられている。
k. k. Prager Oberpostamts-Zeitung
による
記事の原文は省略
日本語訳は執筆者による
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 23«
[Archiv / Kommentar 2020 Nr. 3]
へ続く
上部の写真:
1783 年に完成した
Nationaltheater
Praha