Musik 2020 Nr. 4

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93

 


Teil 21

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 20«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 3]
より続く

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) は 1812 年の夏の休暇の季節に滞在していた、Bohemia 王国の温泉保養地 Teplitz (Teplice) から、凡そ 3 週間程の滞在期間を経た 7 月 27 日に、同国内の同じく温泉地として名高い Karlsbad に移動している。
これはその時に Teplitz に於いて知り合った、医師の Jakob Staudenheimer (1764-1830) の奨めによるものであったが、丁度その時期に当たる 7 月 26 日に、Wien の南南西約 30 Km に位置する、Austria 帝国内で温泉地として知られた Baden が大きな火災に見舞われる。

 この火事は昼の 12 時から 13 時の間に、パン屋を営んでいた Hirschhofer 家の裏庭の建物から出火したものであったがその被害は大きく、Austria 大公 Anton Viktor (1779-1835) が 1810 年に購入したばかりの宮殿や、Esterházy de Galántha 伯爵 János Károly (1775-1834) の屋敷、また市役所、教区教会、Augustinus 修道院、学校、劇場、舞踏会場や Casino 等を始めとして、Baden の代表的な建築物の数々を含む計 117 の建物が激しい炎によって焼け落ちた。

 この異例に大きな災害の知らせがそれから 10 日程経過しても、Baden から 400 Km 程離れた Karlsbad 迄は未だ広く伝わっていなかった時、Teplitz から Karlsbad に移っていてこれを知った Beethoven は、丁度前年とこの年の夏を Karlsbad で過ごしていた、Italia の Violine 奏者の Giovanni Battista Polledro (1781-1853) と共に、Baden の被災者の為の慈善演奏会を開催する事にした。
この演奏会は同年 8 月 7 日に、現在も Karlsbad の高級 Hotel として営業を続けている、„Grandhotel Pupp” (当時は „Zum Auge Gottes”) に隣接する、Böhmischer Saal を会場として行われた。

 後日にこの演奏会の事を伝えた Wien 新聞によると、Karlsbad では当地に滞在していた各地からの賓客達が、夏季休暇の時期も終わりに近付いて来てそろそろ出立の準備を始めていたが、この演奏会の慈善という目的の成果を上げる為にはそれ等の人々の来場が必須であり、また被災者への速やかな援助という意味に於いても、出来るだけ早く演奏会を開催する事が不可欠だという点から、これを計画した両者はその発案から 12 時間も経たない内に演奏会を実行に移している。

 予期せぬ経緯で高名な Beethoven の演奏が聴ける事となったこの演奏会には、各地から Karlsbad に集まっていた数多くの芸術の識者や愛好家達が参集し、演奏は多大な喝采を集めた上に、Wien 通貨で 954 Gulden の寄付金を集めて当初の目的も果たし、大いに成功を収める事が出来た。

 一方この演奏会を終えて間も無く、医師の Jakob Staudenheimer の更なる奨めによって、Beethoven は 8 月 8 日に Karlsbad から Franzensbrunn へ移っている。そこから彼の重要な後援者でありまた Klavier と作曲を教えてもいた、Austria 大公 Rudolph (1788-1831) に宛てた手紙の中で、この時の演奏会に触れて Beethoven 自身は以下の様に伝えている。

 


[ ・ ・ ・ ]
燃え尽きてしまった Baden の町の為に
Polledro 氏の協力を得て開いた演奏会について
陛下は聞かれている事と思います。
収益は Wien 通貨で凡そ 1,000 Florinでしたが
段取りがあれ程ひどく無ければ
簡単に 2,000 Florin は集まったでしょう。
実際は貧者の為の貧相な演奏会でした。
ここの出版社には私の初期の Violinsonate しか見当たらなかったのですが
この Polledro がそれを断然望んだので
私はその快適な古い Sonate を演奏するしかありませんでした。
この演奏会全体は
最初に Polledro による Trio が演奏され
次に私の Sonate
再び Polledro による何かが演奏され
最後に私の即興演奏というものでした。
兎に角私は少しでも可愛そうな Baden の人達の助けになったという事を
本当に嬉しく思っています。
[ ・ ・ ・ ]

 

 


Wien 新聞の記事
及び
Beethoven による Rudolph に宛てた
手紙の原文は省略
日本語訳は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 22«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 5]
へ続く

 

 


上部の写真:

Baden の大火


同時代に制作された水彩画

 

 

 

 

 

 

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