Kommentar 2021 Nr. 4
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 32
»Antonio Salieri Teil 31«
[Archiv / Kommentar 2021 Nr. 3]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
皇帝 Joseph II. (1741-1790) が 1790 年 2 月 20 日に亡くなり、皇帝位を継いだその弟の Leopold II. (1747-1792) によって行われた宮廷人事の全般的な見直しによって、伊語劇場担当の帝室詩人であった Lorenzo Da Ponte (1749-1838) は解任される事となったが、その後任となる帝室詩人が採用される迄の間の臨時の措置として、1791 年 5 月に Caterino Mazzolà (1745-1806) が Wien の帝室宮廷詩人に任命される。
既にこれに先立つ 1778 年に Antonio Salieri (1750-1825) と Mazzolà は、2 幕の Dramma giocoso „La scuola de’ gelosi” (嫉妬の学校) に於いて共同作業を行っており、その大きな成功を受けて Salieri が推薦した事によって Mazzolà は、1780 年以来 Sachsen 選帝侯 Friedrich August III. (1750-1827) の宮廷詩人として Dresden の宮廷に勤めていたが、この地位を保持し乍らの一時的な Wien への赴任となった。
Mazzolà が Wien に於ける臨時の帝室宮廷詩人を務めていた期間に彼は、嘗ての Wien の宮廷詩人であった Pietro Metastasio (1698-1782) の原作に基づいて、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) が作曲を担当した、2 幕の Dramma serio „La clemenza di Tito” (Tito の慈悲) の為の台本を執筆している、
Mozart は Joseph II. の後継者となった Leopold II. の、Praha に於いて行われる Bohemia 国王への戴冠式の際の祝典の為にこの作品の依嘱を受け、1791 年 9 月 6 日に執り行われたその戴冠式の当日に、Praha の Nationaltheater に於いてこの作品の初演が行われている。
この時期に Salieri は彼による 2 幕の Dramma eroicomico „Catiline” に次ぐ作品として、2 幕の Dramma giocoso „Il mondo alla rovescia” (逆さまの世界) を採り上げた。
この作品は既にこの時より 10 年以上も遡る 1779 年に、Salieri が Italia 半島の各地を巡っている期間中の Venezia に滞在していた折、Carlo Goldoni (1707-1793) の原作を基に、Mazzolà が改作執筆した台本による „L’isola capricciosa” (気まぐれな島) への音楽としてその作曲が始められていたが、興行主の急死によってその公演は開催されない事となり、その時点で作曲されていた音楽もそのまま放置されていたものを、今回の Mazzolà の Wien 赴任の折に再度取り上げられる事となったものであった。
今回は Salieri によってその音楽が完成に迄導かれた訳だが、以前の Venezia 時代に作曲がどの段階迄進んでおり、今回それ等をどの程度採り入れて作品全体が完成されたか等の音楽面の詳細に関しては、最早明らかには出来ない状態になっている。
但しこの作品の序曲に関しては、Miguel de Cervantes (1547-1616) の原作 „Don Quijote de la Mancha” に基づいて、Luigi Boccherini (1743-1805) の兄の Giovanni Gastone Boccherini (1742-1798) が台本を書き、Salieri が 1770 年に作曲して翌年の 1 月 6 日に Wien の Burgtheater に於いてその初演を迎えた、2幕の Divertimento teatrale „Don Chisciotte alle nozze di Gamace” (Gamace の結婚式に於ける Don Quixote) の序曲を基にしており、それに構造上の改変と楽器編成をより大きなものにして再利用している。
この序曲はこれより後に更にもう 1 度、1800 年 10 月 12 日に Wien の Theater am Kärntnertor に於いて初演される事となる、2 幕の Opera buffa „L’Angiolina ossia Il matrimonio per sussurro” (Angiolina 又は囁き声の結婚式) の序曲として用いられている。
1790 年に亡くなった兄の Joseph II. を継いで皇帝に即位していた Leopold II. は、1790 年 10 月 8 日の即位の時から 1 年半も経たない 1792 年 3 月 1 日に亡くなる。その死亡は全く予期されず急であった為に、暗殺説も唱えられる程であった。
Leopold II. の後は予定よりもかなり時期が繰り上げられる事とはなったが、子供を持たなかったその兄の Joseph II. によって事前に定められていた通り、Leopold II. の第 2 子長男の Franz Joseph Karl (1768-1835) が Franz I. として、Hungary 国王位、Bohemia 国王位、Austria 大公位及びその他の Habsburg 世襲領地の領主の位を継ぐ事となった。
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 33«
[Archiv / Kommentar 2021 Nr. 5]
へ続く
上部の写真:
古代よりしばしば Topos として取り上げらえて来た
逆さまの世界
の一例
城を守る為に女性が剣を振るう
攻撃した騎士は頭蓋骨を割って梯子から転落する
ca. 1340