Memorandum 2023 Nr. 2

 

 

 


Über Österreich und Wien

 

 


Kurfürst

 


Teil 80

 

 


選帝侯 (第80回)

 

 

 

 

 

 

 


»Kurfürst Teil 79«
[Archiv / Memorandum 2023 Nr. 1]
より続く

 


Kurfürst とは
神聖 Roma 帝国に於いて 13 世紀以降
Roma ドイツ王を選出する独占的権利を認められた
人数の限定された帝国の有力諸侯団。
この Roma ドイツ王位は
神聖 Roma 帝国皇帝位と密接に結び付いている為に
実質的には神聖 Roma 帝国皇帝が
選帝諸侯団に選出されるという意味になる。

 

 1631 年 9 月16 日に Sweden 王国軍の陣営を発見した、Tilly 伯爵の副官で Katholik 連盟軍騎兵隊を率いる Pappenheim 伯爵 Gottfried Heinrich (1594-1632) の求めに応じて、Tilly 伯爵 Johann T’Serclaes (1559-1632) は Katholik 連盟軍の本隊を、Pappenheim 伯爵の求める Leipzig の北方郊外の Breitenfeld 村と Seehausen 村の間の地域に移動させ、見晴らしの良い平坦な土地の中で有利な立地条件となる、少し高地になった場所に布陣した。

 翌 17 日になると、Sweden 国王 Gustav II. Adolf (1594-1632) の率いる Sweden 王国軍と、Sachsen 選帝侯 Johann Georg I. (1585-1656) の指揮する Sachsen 選帝侯国軍による連合軍がこの場所に移動して来て、既に全軍の配置を終わっている Katholik 連盟軍に対峙して布陣を行った。
この時 3 万人余りの軍勢であった Katholik 連盟軍に対して、4 万人余りの兵力であった Sweden 王国と Sachsen 選帝侯国による連合軍は、総兵力の点に限っても明らかに優勢な状況にあった。

 この時の Katholik 連盟軍の軍勢配置は、それ迄の極めて一般的で伝統的なものであった。戦陣中央に凡そ 22,000 人余りから成る密集隊形を組んだ長槍歩兵と銃兵を据え、その両端に 5,000 人ずつの騎兵を配するというもので、全体の戦列の幅は約 4 km に達したが、太陽と風上を背中の方向に向け、太陽の上昇に伴って時間が経過するに応じてより有利となる配置であった。

 これに対して Sweden – Sachsen 連合軍の布陣は、その戦列が更に幅広く 5 km に迄及んだが、Sweden 王国と Sachsen 選帝侯国では軍勢配置の仕方が異なる為に、軍全体として統一的なものにはならなかった。
選帝侯 Johann Georg I. を筆頭に据え、華やかな軍服に身を包んだ Sachsen 選帝侯国軍騎兵部隊が左翼に位置し、戦列の中央を占める Sweden 王国軍歩兵部隊に、Sachsen 選帝侯国軍の歩兵も加わった。
又本来は右翼に Sweden 王国軍騎兵部隊が配置されるところであったが、少人数から成る騎兵の小隊があらゆる位置で自由に動く事が出来るという、異例の大変柔軟な配置を取っている。

 Gustav II. Adolf がこの時 Sweden 王国軍の為に採用した、動きを重視した機動性の高い戦闘法は当時全く新しいもので、それを実現させる為には広範囲に亘る部隊の配置が必要とされるものであった。
又改良された武器使用の技術を使おうとする Sweden 王国軍にとっては、様々な武器の密接で連携の取れた使い方が、これ等による新しい戦闘方法に於いては重要で本質的なものであった。

 Sweden 王国軍に於いては、銃兵の兵員数を増やす為に長槍歩兵の数を制限し、その結果長槍歩兵の凡そ 3 倍の人数の銃兵を配備した。その為に離れた距離からの銃撃戦が大変重要なものとなり、それ迄の戦闘に於ける中心的役割を果たしていた、接近戦の重要性が失われて行くという結果になった。
又射撃の時間的間隔を短縮して連続的な銃撃を行う為に、銃兵の隊列を 6 列のみとし、最前列に位置する銃兵が膝を突く事によって、前 2 列の銃兵が同時に射撃をする事が出来る様にし、射撃を終えた 2 列ずつが前後を交代して銃弾の装填を行うという戦法を編み出した。

 この為に Katholik 連盟軍の配置に於いて主戦力として中央に位置する、銃兵を含むものの長槍歩兵をその中心とした部隊の密集隊形が、個々の部隊が夫々 1 列 50 人で 30 列から成る、計 1,500 人という大きなものであったのに対して、Sweden 王国軍の方は長槍歩兵を含むが銃兵を中心としており、同様に 1 列は 50 人で Katholik 連盟軍と同じだが、夫々の部隊が 6 列という深さの全く異なる隊形を取っていた。

 この新しい戦法が考え出された事によって、銃兵による銃撃が戦闘に於ける決定的な役割を担う事となったが、これの実現の為に Sweden 王国軍では、この時の戦いに先立って銃撃を担う傭兵達に対して、射撃の流れと装填の訓練を相当念入りに行っている。

 

 


この先は次回
»Kurfürst Teil 81«
[Archiv / Memorandum 2023 Nr. 3]
へ続く

 

 


上部の写真:

Leipzig の北方郊外の Breitenfeld 村と Seehausen 村の
間の地帯に布陣した両軍の鳥瞰図


Dresden 出身の版画家
Andreas III. Bretschneider (ca. 1578-1640)
による銅版画

1631

 

 

 

 

 

 

Bemerkungen sind geschlossen.