Kommentar 2021 Nr. 5
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 33
»Antonio Salieri Teil 32«
[Archiv / Kommentar 2021 Nr. 4]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
即位してから 1 年 5 箇月にも満たない 1792 年 3 月 1 日に、急に亡くなった Leopold II. (1747-1792) の後は、これに先立って前皇帝 Joseph II. (1741-1790) によって定められていた通り、Leopold II. の第 2 子長男の Franz Joseph Karl (1768-1835) が継ぐ事となり、Hungary 国王位、Bohemia 国王位、Austria 大公位及びその他の Habsburg 世襲領地の領主の位については、Leopold II. が亡くなった同日に継承されている。
その後 1792 年 6 月 6 日に Buda に於いて、Hungary 国王への戴冠式が行われたのに続いて更に、翌 7 月 5 日に開かれた選帝侯会議に於いて、Franz Joseph Karl は Roma ドイツ王に選出され、1562 年以降の全ての皇帝の戴冠式の場であった Frankfurt am Main の St. Bartholomäus 大聖堂に於いて、彼の叔父に当る Köln 大司教 Maximilian Franz von Österreich (1756-1801) の司式によって、同月 14 日に Franz I. として神聖 Roma 帝国皇帝への戴冠式が行われ、これによって同皇帝位も正式に Franz Joseph Karl によって継承される事となった。
Leopold II. によって帝室詩人を解任された Lorenzo Da Ponte (1749-1838) の代わりとして、1791 年 5 月に Caterino Mazzolà (1745-1806) が Wien の臨時の帝室宮廷詩人に任命された事を契機にして、Antonio Salieri (1750-1825) が 1792 年から取り組んだ、Mazzolà の台本による 2 幕の Dramma giocoso „Il mondo alla rovescia” (逆さまの世界) は、1795 年 1 月 13 日に Wien の Burgtheater に於いて初演を迎える。
この作品の現代に於ける復活上演は 2009 年 11 月に、Salieri の生地の Legnago に於いて 2000 年以降開催されている „Festival Antonio Salieri” の演目として、Salieri の没後 100 年目に当たる 1925 年の杮落しを以て開場された、同地の Teatro Salieri に於いて行われている。
„Il mondo alla rovescia” に次いで Salieri が取り組んだ作品は、Giovanni De Gamerra (1742-1803) の台本による、2 幕の Commedia per musica „Eraclito e Democrito” であった。
Giovanni De Gamerra は Toscana 大公国の港湾都市 Livorno 出身の劇作家、詩人及び台本作家で、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) が 1772 年に作曲し、同年 12 月に Milano の Teatro Regio Ducale に於いて初演されて成功を収めた、3 幕の Opera seria „Lucio Silla” の台本作者として知られている。
De Gamerra は 1771 年より台本作家として、当時の Oper の重要な中心地の 1 つであった同劇場に勤めていた。
De Gamerra は „Lucio Silla” の台本を仕上げるに当たって、1729 年以来 Wien の宮廷詩人であった Pietro Metastasio (1698-1782) にその台本を送付して校閲を依頼しており、Metastasio がそれに幾らか変更を加えた台本に基づいて Mozart が作曲を行っている。
後の 1793 年になって以前の Metastasio とのこの様な関係が評判となり、De Gamerra は前年に即位した皇帝 Franz I. によって Wien の宮廷劇作家に任命されており、そこから Salieri との関係が生まれる事となった。
但し Salieri は 1790 年 10 月に皇帝 Leopold II. (1747-1792) が即位した際に、重責であった帝室宮廷楽長職からの解任を願い出ており、それは叶わなかったものの大きな負担となっていた宮廷劇場の管理の職務からは解かれているので、今回の Oper の作曲に当たっても宮廷楽長の職務として作曲している訳では無く、従って宮廷劇作家の台本に対して作曲を行うという義務は無かったが、結果的には Salieri の意思によってこの De Gamerra による „Eraclito e Democrito” への付曲として取り組む事となった。
この作品は „Il mondo alla rovescia” に次いで 1795 年 8 月 13 日に、同じく Wien の Burgtheater に於いて初演が行われており、1796 年には Berlin の Kleine Theater von SM dem König von Preußen に於いて、又 Wien では 1803 年に再度宮廷劇場に於ける上演演目として採り上げられている。
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 34«
[Archiv / Kommentar 2021 Nr. 6]
へ続く
上部の写真:
Eraclito e Democrito
Peter Paul Rubens (1577-1640)
España 国王 Felipe III. (1578-1621) の首席大臣
Lerma 公爵 Francisco Gómez de Sandoval y Rojas (1553-1625)
の依嘱により制作
1603