Musik 2020 Nr. 3

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93

 


Teil 20

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 19«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 2]
より続く

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) が兼ねてより敬愛していた Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832) に、Teplitz に於いて 1812 年 7 月 19 日に初めて出会う事が出来たが、その翌日に両者は Teplitz 近郊の温泉保養地の Bilin (Bílina) 迄の日帰り旅行に出掛けている。
更にその翌日の晩には Goethe が Beethoven の許を訪れ、Beethoven は Goethe に Klavier の演奏を披露した様で、Goethe はその日の日記に 「彼の演奏はとても素晴らしかった」 と記録している。
その 2 日後の同月 23 日の晩に再度 Goethe が Beethoven を訪問したというのが、Goethe の日記に現れる Beethoven に関する最後の記述となっている。

 Beethoven がこの年の夏季休暇の滞在先とした Teplitz には、同年 6 月に Sachsen 選帝侯国の首都 Dresden に於いて開催された帝国諸侯会議に出席した帰途、Austria 帝国皇帝 Franz I. (1768-1835) も短期間滞在しており、それに随伴していた皇帝侍医の Jakob Staudenheimer (1764-1830) と Beethoven が、この機会に知り合うという事があった。

 Beethoven が前年に引き続いてこの年も、Bohemia 王国の温泉保養地として名高い Teplitz を滞在先として選んだのは、彼の聴覚疾患の治療を目的とするのが大きな理由であったが、それに関して Beethoven は医師の Staudenheimer に相談した様子で、Staudenheimer は Teplitz よりも、同じく Bohemia 王国内で広く知られた Karlsbad での温泉治療を奨め、Beethoven はそれに従って同年 7 月 27 日に、Teplitz から Karlsbad へと移動している。

 しかし Teplitz に於いて急速に深められた Beethoven と Goethe との関係が、これで途絶える事となった訳では無かった。
この間に Teplitz に残る Goethe が、同月 19 日から Karlsbad に滞在していた彼の妻の Christiane von Goethe (1765-1716) に宛てた手紙の中で、「Beethoven 氏が数日間の予定でここから Karlsbad に向かいました。もしあなたが彼を見付ける事が出来たなら、彼が最も早く手紙を自分の許に届けてくれるでしょう」 と記しているので、Beethoven との別れは数日間の事で、間も無く彼は Teplitz に戻って来るというつもりであった事が分かる。

 更に 8 月 2 日にもう一度 Goethe は Christiane に宛てて、「もし自分が Beethoven の手から手紙を受け取ったならもう 1 度返事を書くけれども、それ以後は [手紙を送る事は] もう必要ありません」 と書いている。
これは Goethe 自身が、間も無く Teplitz から Karlsbad へ移動するつもりであった事が念頭に置かれている為だが、それ迄に Beethoven が Karlsbad から Teplitz に戻って Goethe と再会するという事は、Goethe の期待には反して実現しなかった。

 それは Beethoven に Teplitz に留まるよりも Karlsbad での温泉治療を奨めた Staudenheimer の更なる意見を採り入れて、同年 8 月 8 日に Beethoven が Karlsbad を後にして Franzensbrunn へ向った為で、Goethe 自身も同月 11 日に Teplitz から Karlsbad に移動しているが、そこに於いても数日の違いで両者はこの時に再会する事が出来なかった。

 その後丁度 1 箇月間の Franzensbrunn の滞在を経て、Beethoven が 9 月 8 日に Karlsbad に戻った事を Goethe は記録に残している。
そこで両者は漸く暫くの再会を果たした訳だが、それも同月 11 日迄の数日間の事で、9 月 12 日に Goethe は Weimar へ向けて Karlsbad から去っている。
それ以後この両者が出会う事は無く、記録に残る交流もこれを最後に途絶える事となる。

 

 


Johann Wolfgang von Goethe
による
日記及び手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 21«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 4]
へ続く

 

 


上部の写真:

Karlsbad


1825–1830

 

 

 

 

 

 

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