Musik 2022 Nr. 8

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93

 


Teil 41

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 40«
[Archiv / Musik 2022 Nr. 7]
より続く

 

 1816 年に Ludwig van Beethoven (1770-1827) が、Symphonnie in F-dur (Nr. 8, op. 93) の製版の為に、その大陸に於ける出版権を買い取った Sigmund Anton Steiner (1773-1838) に対して、Beethoven による修正の行われた総譜の写譜を送っており、Steiner がこの Symphonie の Klavier 編曲譜を作成するのであれば、その楽譜を基にして作成するようにと指示している。

 その後この Symphonie の 2 手用 Klavier 編曲譜の作成を行ったのは、Steiner の経営していた芸術及び音楽出版社で働いていた Tobias Haslinger (1787-1842) であった。
その後この Klavier 編曲は Beethoven の生徒であった Carl Czerny (1791-1857) によって修正の手が加えられ、Beethoven がそれに目を通した事が、1817 年 1 月 9 日にその Klavier 編曲の修正譜を Steiner に返送する際に Beethoven が書いた手紙によって知る事が出来る。
その手紙の中で Beethoven は、Czerny によって修正された Symphonie in F-dur の Klavier 編曲は受け入れる事が出来ると Steiner に伝えている。

 Bad Zell 出身の作曲家 Tobias Haslinger は、彼が Linz 大聖堂の少年合唱団員であった時に、Linz 大聖堂及び教区教会楽長の Franz Xaver Glöggl (1764-1839) の下で音楽の教育を受ける。また Glöggl が Linz に於いて 1803 年より楽長職と並行して営んでいた、芸術作品、楽譜と楽器を扱う店舗を手伝い乍ら、Glöggl より楽譜出版業の薫陶を受ける。
その後 Wien から移って来た Friedrich Emanuel Eurich (1772-1851) が Linz に於いて経営していた、書籍芸術商の音楽部門を Haslinger は任されて担当する事になる。

 1810 年に Wien に出た Haslinger は先ず、August Gräffer (1740-1816) の書籍店に勤め、そこから自身の音楽作品の出版も行っている。
その後 1814 年に Sigmund Anton Steiner の経営する芸術音楽出版社 S. A. Steiner に移り、その翌年には共同経営者となっている。
Haslinger はそこで印刷譜の美化に務め、それ迄の Lithographie に代わって錫板を用いて製版する方法を考え出した。

 S. A. Steiner は 1822 年に帝室王室宮廷劇場音楽出版社の、又その翌年には „Bureau des Arts et d’Industrie” が倒産した後、自身の名前によって経営を続けていた Josef Riedl (1788-1837) より、夫々が保持していた作品の出版権を入手する。

 Beethoven と親交のあった Haslinger は 1817 年から 1823 年に掛けて、写譜士の Mathias Schwarz の手を借りて 62 巻にも及ぶ Beethoven の作品集を編纂している。これはその後 Beethoven より教えを受けた数少ない生徒の一人であった、Austria 大公 Rudolph (1788-1831) が購入する運びとなり、大公の没後以降は Wien の楽友協会の所有するところとなって現在に至っている。
これより後の 1829 年から Haslinger は Beethoven の作品全集の出版を計画するが、これは他社の所有していた出版権との競合が発生した為に、完成に迄至る事は叶わなかった。

 1826 年になると Sigmund Anton Steiner が加齢の為に出版社の経営から引退する事を決意し、その事業を全面的に Haslinger に譲る事にした為に、それ以降は Haslinger が単独の所有者となって、自身の名前の T. Haslinger という社名に変更してその経営を承継する。
Steiner はそれ以降 1838 年に 65 歳で亡くなる迄、楽友協会の運営委員の一員及び、Wien の芸術商協議会の会計幹事兼会長の職を務めている。

 1814 年 2 月 27 日に Wien の Großer Redoutensaal に於いて初演の行われていた、Beethoven による Symphonnie in F-dur (Nr. 8, op. 93) の総譜と各声部譜並びに Klavier編曲譜は、1817 年になって Wien の S. A. Steiner より出版されている。

 

 


上部の写真:

Tobias Haslinger


Austria の画家及び石版画家の
Josef Kriehuber (1800-1876)
による
Lithographie

1842

 

 

 

 

 

 

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