Kommentar 2022 Nr. 8
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 44
»Antonio Salieri Teil 43«
[Archiv / Kommentar 2022 Nr. 7]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
Antonio Salieri (1750-1825) が 1804 年に完成させた 2 幕の Singspiel „Die Neger” (黒人) が、彼による最後の舞台作品となり、その後 1807 年になってから、嘗て 1784 年に Paris に於いて初演が行われ異例の大成功を収めた、5 幕の Tragédie lyrique „Les Danaïdes” の、仏語から独語版への改作は行ったものの、それ以降舞台作品を書く事は無く、専ら宗教曲の作曲に専念する様になった。
Salieri は 1774 年に Florian Leopold Gaßmann (1729-1774) が亡くなった事によって、Wien の宮廷作曲家及び伊語劇場の楽長となり、その後 1788 年には Giuseppe Bonno (1711-1788) の退職に伴って帝室宮廷楽長に就任して以来、宮廷楽団員の新たな採用の際には自らが選任し、彼等が一流の奏者となる様に訓練を施して来たという様な、凡そ 20 年にも亘る努力によって、Wien の宮廷劇場 Orchester は当時大変高い技術を有する演奏団体となっていたが、Salieri のその後の宮廷劇場への不在に因って、そこには大きな変化が起こっていた。
この時代の最も広く知られた音楽専門雑誌であった „Allgemeine Musikalische Zeitung” (一般音楽新聞) の、1801 年 6 月 1 日付けの記事に以下の様な文章が載っている。
・ ・ ・
尊敬に値する Salieri が伊語劇場の楽長であった時
そして若し私が間違っていなければ
Scheidlein 氏が Orchester の監督であった時
その楽団員達は (その内の何人かが退団していたとしてもそれ以外の人達は) 現在と同じでしたが
それにも拘らず [当時は] Oper が最も厳しい批評に於いても
それ以上は何も要求する事が出来ないという程の水準で上演されていました。
全楽器の完全な間と全楽員が演奏する際の精緻さ [だけ] が
彼等の最も卓越した点だという訳ではありませんでした。
声楽 [歌手] は最高度の繊細さを以て [Orchester により] 伴奏され
その伴奏声部に於ける各々の陰影は
極度のものから最も微かなものに至る迄
常に的確な表現が行われました。
当時この Orchester が
独語圏に於ける第 1 級の劇場 Orchester の 1 つであるという事に
議論の余地はありませんでした。
これには全ての能力のある審判者なら同意する事でしょう。
しかし Salieri が彼の地位を他の者に譲らざるを得なくなり
Conti 氏が Orchester の主導者となった時
Orchester は今あるような地点まで次第に沈み込んで行きました。
従ってその間違いの原因は楽団員達にあるのでは無く
その主導者にある訳です。
・ ・ ・
ここで述べられている Milano 生まれの Giacomo Conti (1754-1805) は、Lombardia の Varese に於いて Oper の指揮者として活動を始め、Zürich に於ける Violine 奏者を経て、1787 年に Russia 帝国の Grigori Alexandrowitsch Potjomkin 侯爵 (1739-1791) の楽団員となり、また Dnipropetrovsk の音楽学校の教員も務める。
その後 1791 年に Wien に移った Conti は伊語劇場の指揮者に就任し、1797 年から彼が亡くなる 1805 年に至る間は、Wien の宮廷楽団にも迎え入れられている。
また Conti は Beethoven の後援者の一人で、彼が Symphonie in A-dur (Nr. 7, op. 92) 他の作品を献呈した、Moritz von Fries 伯爵 (1777-1826) の Violine の教師でもあった。
Allgemeine Musikalische Zeitung
による
記事の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 45«
[Archiv / Kommentar 2023 Nr. 1]
へ続く
上部の写真:
Antonio Salieri
Fr. Rehberg
1821