Musik 2020 Nr. 2
Ludwig van Beethoven
Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93
Teil 19
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 18«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 1]
より続く
Ludwig van Beethoven (1770-1827) の友人で、1809 年頃より彼の個人秘書の役目もしていた Franz Oliva (1786-1848) や、更にその紹介で知り合った Karl August Varnhagen von Ense (1785-1858) を介して、兼ねてより敬愛していた大変高名な詩人の、Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832) と知り合う為の周到な準備を積み重ねた Beethoven は、前年の夏の休暇でも訪れていた Bohemia 王国の Teplitz に 1812 年 7 月 5 日に到着し、そこでその年の 5 月初旬から Goethe が滞在していた、同じく Bohemia 王国の保養地 Karlsbad から Teplitz への彼の到着を待った。
Goethe が Teplitz に到着したのは 7 月 14 日で、両者は同月 19 日にそこで初めて出会う事になる。
その時の印象を Goethe は、彼の妻の Christiane von Goethe (1765-1716) に宛てた同日付の手紙に於いて、「彼以上に全力で集中し、精力に溢れて誠実な芸術家を私は未だ見た事が無い。彼が世界に対して如何に風変わりに対さざるを得ないかという事を、私は実に良く理解する事が出来る」 と伝えている。
既にこの両者の初めての出会いの日に、Beethoven が Goethe の前で Klavier の演奏を披露して、Goethe にその芸術的技能の強い印象を与えたという可能性は大いに考える事が出来るが、実際にその日に演奏が行われたかどうかは明らかになっていない。
しかし何れにしても、既に 60 歳を越していた Goethe にとって、一世代若い Beethoven が大変魅力的に思えたのは事実の様で、両者は早速この出会いの翌日に、Teplitz から南西凡そ 6 km の距離に位置し、18 世紀に炭酸泉が発見された事からそれ以降広く知られる様になった、Bila 渓谷にある町 Bilin (Bílina) 迄の日帰りの旅行に出掛けている。
そこにある Bilin 城は 1675 年から 1682 年に掛けて、Wenzel Ferdinand von Lobkowitz 伯爵 (1654–1697) によって建設された Barock 様式に拠る城館。
Beethoven と Goethe が出会った時期の Lobkowitz 家の本家の家長は、7 代目となる Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 侯爵 (1772-1816) であったが、彼は Beethoven にとって重要な後援者の 1 人であり、Lobkowitz 家は Beethoven にとってとても馴染みのある家系であった。
Beethoven にとっては Lobkowitz 家やその他の貴族達を通して、この Bilin に限らず Bohemia 王国の各地が既に良く心得た土地となっており、例えばこの夏に滞在していた Teplitz から、王国首都の Praha へ向かうほぼ中間の Raudnitz an der Elbe にある Raudnitz 城は、Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 侯爵の夏の居城であり、そこでは 1804 年 10 月に Lobkowitz 侯爵の宮廷 Orchester によって、Beethoven の Symphonie Nr. 3 »Sinfonia Eroica« in Es-dur (op. 55) が、翌年に Wien に於いて行われる事になる公開初演を前にして私的に演奏されている。
この時の演奏は Raudnitz 城を訪れた Preußen 王国の王子 Louis Ferdinand von Preußen (1772–1806) をもてなす為に行われたが、作品に大きな感銘を受けた Louis Ferdinand の希望によって、当時の様式としては異例に長いこの Symphonie が引き続いて繰り返し演奏され、Louis Ferdinand の短期間の Raudnitz 城滞在中に更にもう 1 回再演された事が記録に残されている。
Beethoven がこれに先立つ 1796 年に Berlin を訪れた際に、Preußen 王国の宮廷に於いて Louis Ferdinand と知り合っているが、彼の Klavier の演奏を聴いた Beethoven はそれを大変高く評価し、また Beethoven の作品を崇拝していた Louis Ferdinand によって、Beethoven の大きな影響の下に作曲された数々の作品が残されている。
両者はその後の 1804 年に、Louis Ferdinand が外交使節として Wien を訪れる機会があった際に再会を果たしたが、その後日 Lobkowitz 侯爵の誘いによって彼は Raudnitz 城に迄足を延ばし、そこで Beethoven による新作の Symphonie を公開初演前に聴く事になるという経緯があった。
Beethoven はこの Louis Ferdinand の Raudnitz 城訪問の翌月に、Wien の Kunst und Industrie Comptoir より出版される運びとなった、Konzert für Klavier und Orchester Nr. 3 in c-moll (op. 37) を Louis Ferdinand に献呈している。
Johann Wolfgang von Goethe
による
手紙の原文は省略
日本語訳は執筆者による
この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 20«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 3]
へ続く
上部の写真:
Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 侯爵の夏の居城
Raudnitz 城
1653 年に Francesco Caratti (1620–1677) の設計よって建築が開始され
1684 年に Antonio della Porta (1631–1702) によって完成された
Jeremias Wolff (1663-1724) の制作による銅版画
1710
Augsburg