Musik 2020 Nr. 6
Ludwig van Beethoven
Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93
Teil 23
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 22«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 5]
より続く
Ludwig van Beethoven (1770-1827) は 1812 年の夏季休暇を過ごす為に、健康回復を目指した温泉治療を兼ねて、同年 7 月に Bohemia 王国の Praha を経由して Teplitz に向かう。そこから皇帝侍医の Jakob Staudenheimer (1764-1830) の勧めに従って、更なる温泉保養地の Kaarlsbad と Franzensbad を巡って、9 月中旬に再び Teplitz に戻る。
その頃に Beethoven には、Linz で薬局を営んでいた下の弟の Nikolaus Johann (1776-1848) が結婚しようとしているという知らせが伝えられている。
Nikolaus Johann は兄の Ludwig に続いて、兄が Wien に出た 3 年後の 1795 年に、Bonn から同じく Wien に移り、そこで薬局の助手として働いていた。
その後 1808 年 3 月に彼は Linz に薬局を購入するが、自身で経営を始めて間も無く、破産の危機に晒される事となる。
しかしその時に Nikolaus Johann は、その薬局の棚にあった薬瓶や乳鉢類が England 製の錫 100% によるものである事に気が付く。その頃 Napoléon Bonaparte (1769-1821) の大陸封鎖例によって、England との通商が全く途絶えていた大陸では、England 製物品の価格が異様に高騰していた。
また更に Nikolaus Johann にとって幸運であった事には、1809 年に Napoléon Bonaparte が France 軍を率いて Austria に侵攻したが、首都 Wien 攻略の為の軍隊の基地をその手前の Linz に設営し、その Donau 河に面した Linz に、船で軍の負傷者を輸送してそこで治療する事とした。この時に France 軍が必要とする医薬品の供給を一手に請け負う事となった Nikolaus Johann は、多額の負債が整理出来たのみならず、これによって返って大きな財産を築く事が出来た。
その頃未だ独身であった Nikolaus Johann が住んでいた Linz の家は、彼が一人で住むには大きすぎた為に、Wien から移って来た医師夫妻にその一部を貸していてが、暫くしてその妻の妹もそこに移り住む事となった。
この医師の義妹に当たる Therese Obermeyer (1787-1828) は、優美で均整の取れた容姿を持ち、美人では無いとしても感じの良い相貌であったと伝えられているが、間も無く彼女を気に入った Nikolaus Johann の家政婦を務める事となった。
この両者が結婚しようとしているという事を Teplitz に於いて知った Beethoven は、急遽 9 月 29 日にそこを出立して一旦 Wien へ戻り、そこから直ちに更に西に位置する Linz に向って、10 月 5 日の数日前に到着した事が記録されている。
Nikolaus Johann はこの時既に 36 歳で、事業にも成功した自立した人物ではあったが、Linz に来て Therese Obermeyer を知った Beethoven は、当時 25 歳であった彼女が、Nikolaus Johann と知り合う以前の他の男性との間の婚外子を持つふしだらな女性であり、弟と自分を含めた Beethoven 家には全く相応しく無い人物であるとして、その結婚には強く反対した。
しかしその兄の意見を聴き入れる意思が Nikolaus Johann には全く無い事が分かると Ludwig は先ず、結婚の儀式を執り行う事になる Linz の司教 Hohenwart 伯爵 Sigismund Ernst (1745-1825) の所に出向いて、Therese の婚外子を根拠にして両者の結婚を認めない様にと説得に努めた。
しかしそれが司教に拒否されると、今度は市当局に対して、Therese Obermeyer には Linz で暮らす権利が無いとして、彼女の Linz からの退去処分の申請を行ったが、行政当局からもそれへの措置が講じられる事は無かった。
遂には怒気に満ちた Ludwig と Nikolaus Johann の両者による直接の争いが、双方にとっての不名誉な暴力沙汰にまで発展する事となったが、Ludwig の望む結果に至る事は無く、彼は仕方無く Linz を去って Wien に帰るという事になる。
Linz 市教区の記録簿には、Nikolaus Johann と Therese Obermeyer が、この年の 11 月 8 日に結婚したという事が記されている。
また Ludwig は本来ならばこの後に、Linz の町の人々の希望に従ってそこで演奏会を開催するという事になっていたが、大変残念な事に急遽 Linz を去ったという知らせが、11 月 10 日付の当地の新聞に於いて報じられている。
この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 24«
[Archiv / Musik 2020 Nr. 7]
へ続く
上部の写真:
Nikolaus Johann van Beethoven
1830 年から 1845 年に掛けて
Wien で活動した
細密肖像画家 Leopold Groß
による油彩画
1841