Kommentar 2022 Nr. 3
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 39
»Antonio Salieri Teil 38«
[Archiv / Kommentar 2022 Nr. 2]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
Wien の Theater am Kärntnertor に於いて 1800 年 10 月 22 日に初演の行われた、2 幕の Opera buffa „L’Angiolina, ossia Il matrimonio per sussurro” (Angiolina、又は囁き声の結婚) に次いで Antonio Salieri (1750-1825) が書いた舞台作品は、3 幕の Dramma per musica „Annibale in Capua” (Capua の Hannibal) であった。
台本に関しては、その前作迄の 3 つの作品に於いて続けて Salieri との共同作業を行い、それ等が大きな成功を収める事に寄与して来た Carlo Prospero Defranceschi に代わって、今作では Italia の台本作家で又劇作家の Antonio Simeone Sografi (1759-1818) が新たに担当している。
Padua に生まれた Antonio Simeone Sografi は生地での勉学を終えると、喜劇及びその他の分野の台本執筆の勉強をする為に、Italia に於ける演劇の改革で大きな功績を残した Carlo Goldoni (1707-1793) の出身地であった Venezia に赴き、そこで Commedia dell’arte に特徴的な、人物像や状況の類型化と誇張された演技による単純な笑いを追求した喜劇を脱却し、様々な人間の普遍的人物像を描写する事を目指した Dramma giocoso の様式を学ぶ。
Sografi はその後 1789 年から 1816 年に至る期間台本作家としての活動に従事し、Giuseppe Gazzaniga (1743-1818)、Domenico Cimarosa (1749-1801)、Ferdinando Paër (1771-1839) や Giuseppe Farinelli (1769-1836) 等を始めとする、その他数多くの同時代の作曲家達の為に台本を書いている。また Sografi は Opera の台本の他にも、Kantate、Oratorium やその他の宗教曲の為の歌詞の執筆や、演劇の台本制作も行っている。
Salieri は Adria 海に面した帝国自由都市の Triest に、新しく建造される運びとなった劇場の為に „Annibale in Capua” の作曲を行い、それは 1801 年 4 月 21 日に同劇場の杮落し公演として行われた、Gaetano Donizetti (1797-1848) の下で 9 年間音楽を学んだ、Bayern 出身の Johann Simon Mayr (1763-1845) の作曲による、2 幕の Dramma serio eroico „Ginevra di Scozia” (Scotland の Ginevra) に次ぐ作品として、同年の翌 5 月 19 日に Teatro Nuovo に於いて初演され、主役の Annibale (Soprano) を当時大変高名であった Castrato 歌手の Luigi Marchesi (1754-1829) が歌っている。
„Annibale in Capua” はその後初演に引き続いて、合計で 16 回の公演がこの劇場に於いて行われた。
Salieri はこれに先立つ 1786 年 2 月 7 日に、Wien の Schönbrunn 宮殿の Orangerie に於いて初演の行われた、皇帝 Joseph II. (1741-1790) による依嘱作品の Divertimento teatrale „Prima la musica poi le parole” (最初に音楽、それに次いで言葉) の中で、1785 年に Wien に於いて Luigi Marchesi が主役の Sabino を、Catarina Cavalieri (1755-1801) が Epponina を歌って異例の大変大きな成功を収めた、Giuseppe Sarti (1729-1802) の作曲による Oper „Giulio Sabino” の中の幾つかの曲の引用と風刺を行っている。
この Triest の Teatro Nuovo は 1798 年から 1801 年の間に、これに先立つ 1792 年に完成した Venezia の Teatro La Fenice [正式名称:Gran Teatro La Fenice di Venezia] を設計建造した、Venezia の新古典様式を代表する建築家の Gian Antonio Selva (1751-1819) と、同じく新古典主義の建築家で Triest の都市設計に大きな影響を与えた、Matteo Pertsch (1769-1834) によって設計及び建設された。
Pertsch はこの劇場の正面の設計に際して、彼の師の Giuseppe Piermarini (1734-1808) による影響を強く受けている。Piermarini は 1778 年に完成された Milano の Teatro alla Scala の設計で知られており、同年 8 月 3 日に行われた杮落し公演では、Salieri による 2 幕の Dramma per musica „L’Europa riconosciuta” (再認識された Europa) が初演されている。
Triest の Teatro Nuovo はこの後 1820 年になって Teatro Grande に改称され、又 1861 年には所有権が個人から市に移った為に、それ以降 Teatro Comunale と呼ばれる様になる。
更に 1901 年 1 月 27 日に Giuseppe Verdi (1813-1901) が亡くなると、同日の夜に急遽市議会が招集され、臨時決議によってそれ以降この劇場は、Teatro lirico Giuseppe Verdi という名前に変更する事が決定され、現在に迄至っている。
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 40«
[Archiv / Kommentar 2022 Nr. 4]
へ続く
上部の写真:
Teatro lirico Giuseppe Verdi
舞台上から見た観客席