Kommentar 2020 Nr. 1
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 21
»Antonio Salieri Teil 20«
[Archiv / Kommentar 2019 Nr. 8]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
Antonio Salieri (1750-1825) が 1787 年 6 月に Paris に於いて、Prolog 付き 5 幕の Oper „Tarare” を以て大きな成功を収め、その評判が間も無く Wien にも伝わって来た事によって、この作品の伊語版の制作を皇帝 Joseph II. (1741-1790) が Salieri と、当時帝室詩人として Wien の伊語劇場の台本作家を務めていた、Lorenzo Da Ponte (1749-1838) に委嘱をしたという頃は、Lorenzo Da Ponte にとって大変忙しくしていた時期であった
この時 Lorenzo Da Ponte は上記の „Tarare” の伊語版となる、5 幕の dramma tragicomico „Axur, re d’Ormus” (Ormus の王 Axur) の他に、1785 年以来 Wien に於いて活動を行い大変好評を博していた、Valencia 出身の作曲家 Vicente Martín y Soler (1754-1806) の為に、2 幕の Dramma giocoso „L’arbore di Diana” (Dianaの木)、及び Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の為には、同じく 2 幕の Dramma giocoso „Il dissoluto punito ossia Il Don Giovanni” (処罰された放蕩者、又は Don Giovanni) の台本の執筆を同時に並行して行っていた。
Da Ponte による Salieri の為の台本執筆は、翻訳改作も含めて今回が第 4 作目となる。
一方 Vicente Martín y Soler の為としては、今回が第 3 作目の台本執筆となるが、今回の前作に当たり、1786 年 11 月 17 日に Wien の Theater nächst der Burg に於いて初演された、2 幕の Dramma giocoso „Una cosa rara o sia Bellezza ed onestà” (珍しい事、又は美と誠実) は、その当時の最も成功した舞台作品の 1 つと言われる程の大きな成功を収め、聴衆の熱狂的称賛のために、皇帝 Joseph II. が Martín y Soler の為の更なる台本執筆を Da Ponte に望んだ事から、„L’arbore di Diana” の制作が開始される事となった。
また Mozart の為にも Da Ponte はこの前年、4 幕の Opera buffa „Le nozze di Figaro” (Figaro の結婚) の台本を書いているが、1786 年 5 月 1 日に同じく Theater nächst der Burg に於いて、Mozart の指揮によって行われたこの作品の初演は大きな人気を博して、幾つもの曲の繰り返しが聴衆によって求められた。そのためにこの作品の上演が深夜に至る迄際限無く続く事を避ける為に、5 月 9 日以降の全ての公演に於いては、重唱曲の繰り返し上演を禁じるという事を皇帝 Joseph II. が定めねばならない程であった。
これ等の 3 つの作品の中で最初に完成したのは、Martín y Soler による „L’arbore di Diana” で、1787 年 10 月 1 日に Wien の同じく Theater nächst der Burg に於いて初演が行われた。
Da Ponte は後の 1823 年に出版した „Memorie di Lorenzo Da Ponte, da Cèneda. Scritte da esso” (Cèneda [Venezia 共和国] 出身の Lorenzo Da Ponte 自身の記述に拠る回顧録) の中で、この作品に関して以下の様に書いている。
私の考えによればこの戯曲は
独創性の点に関しても
また同様に詩情の点に於いても
自分が創作した中の最良の作品です。
決してみだらになる事の無い官能性に聴衆は
最初から最後迄引き付けられていました。
[・・・]
その主題は
[Martín y Soler による] 極めて柔らかい旋律に適した
誰もが魂から共感する事は出来るけれども
極僅かの人にしか真似る事は出来ない
快いものと言う事が出来るでしょう。
„L’arbore di Diana” は初演より 5 年間の間に 65 回にも及ぶ公演が行われ、Wien の Theater nächst der Burg に於いて上演された、Da Ponte と Martín y Soler の両者の制作による作品の中で、最も成功した作品となった。
また Europe 内の 40 以上の都市に於いて夫々個別の演出によって上演され、独語、仏語、露語を始めとする幾つもの言葉への翻訳版も制作された。
Lorenzo Da Ponte
による
回顧録の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 22«
[Archiv / Kommentar 2020 Nr. 2]
へ続く
上部の写真:
1787 年 10 月 1 日に行われた
„L’arbore di Diana” の
初演の為の Poster
Wien