Kommentar 2020 Nr. 7
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 27
»Antonio Salieri Teil 26«
[Archiv / Kommentar 2020 Nr. 6]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
1788 年に Wien の帝室宮廷楽長に任命された Antonio Salieri (1750-1825) によって、3 幕の Dramma giocoso „Il talismano” (護符) と、4 幕の Dramma tragicomico per musica „Il pastor fido” (信頼出来る羊飼い) がもたらされる事となった 1788-89 年度に次いで、その翌年度の宮廷劇場に於ける上演演目を組み上げるに当たって Salieri が先ず考えたのは、聴衆を確実に喜ばせる事の出来る作品をその中心に据えるという事であった。
この観点に従って先ず採り上げられる事となったのは、既に前年度迄に Wien の宮廷劇場に於いて上演されて大きな成功を収めていた、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) による 4 幕の Opera buffa „Le nozze di Figaro” (Figaro の結婚) と、自身による 5 幕の dramma tragicomico „Axur, re d’Ormus” (Ormus の王 Axur) であった。
これ等の 2 作品に加えて更に、Mozart による 2 幕の Dramma giocoso „Così fan tutte, ossia La scuola degli amanti” (女性達は皆こういう風にする、又は恋人達の学校) と、Salieri による 2 幕の Dramma giocoso „La cifra” (組み合わせ文字) という新作の 2 作品が上演される事となった。
Italia の詩人 Giuseppe Petrosellini (1727-1799) による „La dama pastorella” (羊飼いの女) に基づいて、Lorenzo Da Ponte (1749-1838) が台本を書いた、Scotland をその舞台とする „La cifra” は、1789 年 12 月 11 日に Burgtheater に於いて初演が行われている。
その公演では主役となる女性羊飼いの Eurilla を、Italia 人の Soprano 歌手 Adriana Ferrarese del Bene (1759-?) が、また宿の経営もしている市長の Rusticone を、同じく Italia 人の Baß 歌手 Francesco Benucci (ca. 1745-1824) が歌っている。
この時 Rusticone を歌った Livorno 生まれの Francesco Benucci は、生地を始め Firenze、Genova、Bologna、Venezia、Milano や Roma 等 Italia の各地に於いて歌手としての活動を行っていたが、1783 年に Soprano 歌手として Venezia に於いて大きな成功を収めていた Nancy Storace (1765-1817) と共に、Giacomo Durazzo 伯爵 (1717-1794) の仲立ちによって、1,000 Dukaten という当時としては異例に高額な報酬を以て、Wien の宮廷劇場に迎え入れられていた。
この 2 人の歌手を Wien に連れて来る事となった Genova 出身の Giacomo Durazzo 伯爵は、その兄の Marcello Durazzo (1710-1791) が、1767 年から 1769 年の間 Genova 共和国の第 169 代総督に選出されていたという事が示す様に、Genova の有力貴族の一員であり、1754 年から 1764 年迄の期間 Wien の宮廷劇場の総監督を皇帝より委ねられ、それ以降は皇帝の駐 Venezia 共和国大使として同地に滞在していた。
Wien に登場した Francesco Benucci は、1785 年に Salieri の „La grotta di Trofonio” (Trofonius の洞窟) の Trofonio を、1786 年には当時 Wien で大変流行った Vicente Martín y Soler (1754-1806) の „Una cosa rara o sia Bellezza ed onestà” (珍しい事、又は美と誠実) の Tita を、そして 1788 年には上記 „Axur, re d’Ormus” の Axur を夫々初演の公演以来歌っている。
またこの当時の 「Wien の Mozart 時代」 と称される時期を代表する歌手の一人であった Francesco Benucc は、1786 年に „Le nozze di Figaro” の Figaro を、1788 年には „Don Giovanni” の Wien 改訂版の際の Leporello を、また 1790 年には上記 „Così fan tutte” の Guglielmo を歌っており、これ等 3 作品の何れもが Lorenzo Da Ponte によって台本が書かれている事から、Da Ponte 3 部作と呼ばれている、Mozart 後期の代表的な舞台作品の初演歌手としてもその名が後世に残されている。
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 28«
[Archiv / Kommentar 2020 Nr. 8]
へ続く
上部の写真:
Francesco Benucci
Wien で幅広く活動した銅版画家
Hieronymus Löschenkohl (1753-1807) による
Silhouette
1786