Memorandum 2022 Nr. 2
Über Österreich und Wien
Kurfürst
Teil 72
選帝侯 (第72回)
»Kurfürst Teil 71«
[Archiv / Memorandum 2022 Nr. 1]
より続く
Kurfürst とは
神聖 Roma 帝国に於いて 13 世紀以降
Roma ドイツ王を選出する独占的権利を認められた
人数の限定された帝国の有力諸侯団。
この Roma ドイツ王位は
神聖 Roma 帝国皇帝位と密接に結び付いている為に
実質的には神聖 Roma 帝国皇帝が
選帝諸侯団に選出されるという意味になる。
1629 年 5 月 22 日に神聖 Roma 帝国と Denmark 王国との間に締結された Lübeck の和約によって、Denmark 及び Norway 国王 Christian IV. (1577-1648) が目論んだ帝国北部への侵攻の野望は、帝国の全面的勝利という結果を以て完全に打ち砕かれた。
それを見届けるかの様にして翌 1630 年 7 月 6 日に、Sweden 国王 Gustav II. Adolf (1594-1632) の率いる 13,000 人からなる Sweden 王国軍が、Pommern 公国 Usedom 島の Peenemünde に上陸侵攻を開始し、その兵力は間も無く傭兵の徴募によって 40,000 人に迄高められた。
帝国内に於ける皇帝 Ferdinand II. (1578-1637) を主導者とするカトリック勢力と、主に北部を中心とするプロテスタント勢力との争いに於いて、Gustav II. Adolf は自らをプロテスタント主義の擁護者と自認しており、その為に Sweden 王国の物質面での増強の必要性と、Balt 海沿岸の支配権の確立を念頭に置いていた。
一方 France 王国と、その国政を主導していた Richelieu 公爵及び枢機卿 Armand-Jean du Plessis (1585-1642) は、France 王国の領域が次第に Habsburg 家の勢力に包囲されている様に感じており、その権勢を弱体化させる事が出来るのであれば、France はカトリック国であるにも拘らず、プロテスタント側に助力する事を厭いはしようとしなかった。
この様な両者の状況の下 Richelieu 公爵にとって Gustav II. Adolf は、Habsburg 家に対する France 王国の闘いという観点からは大変都合の良い存在であった。
そこでこの両者は周到な交渉と準備の期間を経た後 1631 年 1 月 23 日に、Stettin から 70 km 余り南方に位置する Neumark の Bärwalde に於いて、Sweden 王国は Björneborg 伯爵 Gustaf Karlsson Horn (1592-1657) を、France 王国側は Charnacé 男爵 Hercule Girard (1588-1637) を夫々その全権特使として、両国間に同盟関係を結ぶ条約が締結された。
この条約によって Sweden 王国は 30,000 の歩兵と 6,000 の騎兵からなる軍勢を帝国領内に進攻させ、それを維持する事が義務付けられた。それに対して France 王国はその費用として、年間 40,000 帝国 Taler を 10 年間に亘って、合計で 400,000 帝国 Taler を Sweden 王国に支払う事が定められた。
またこの同盟関係には他の国や諸侯も加わる事が許され、帝国領民のカトリックも含めた宗教の自由が保障される事、又他国との単独での条約や和平の締結は禁じられる事等も定められている。
この条約の政治上の目的とされたのは、Habsburg 家の覇権に対して危機感を抱いてはいたものの、直接帝国領内に軍隊を展開する意思は無かった France 王国にとって、帝国内の領有関係を宗教戦争が始まる以前の状態に戻すという事であったが、この条約が締結された時点で既に、条約で定められた様な大規模な軍隊の、武器弾薬などの装備も含めた維持費は、France 王国が負担すると定められた額の 5 倍にも達する事が明らかとなり、従って帝国領内に侵攻した Sweden 王国の軍隊は、その土地からの収穫物等によって扶養されざるを得ない状況であった。
この条約は先ず最初に 5 年間という当初の期限を設けて結ばれたが、この様な厳しい状況にも拘わらず、早くも締結から未だ 2 年しか経過していない 1633 年 4 月 9 日に、帝国都市の Heilbronn に於いて、「安定した平和が確立される迄」 更新されるという事が両国間に於いて合意された。
この先は次回
»Kurfürst Teil 73«
[Archiv / Memorandum 2022 Nr. 3]
へ続く
上部の写真:
Bärwalde で締結された条約を風刺する Medal
表面には木に繋がれた帝国を象徴する騎手のいない馬
裏面では Schweden を表す巡礼者の姿をして杖を持った狐が
France の雄鳥に条約の証書を渡そうとしている
1631