Kommentar 2023 Nr. 2

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Antonio Salieri

 


Teil 46

 

 

 

 

 

 

 


»Antonio Salieri Teil 45«
[Archiv / Kommentar 2023 Nr. 1]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について

 

 Wien の Hofkapellmeister の Florian Leopold Gaßmann (1729-1774) は、毎年謝肉祭の時期に向けて新作の Oper を書き、それを上演する為に Venezia を訪れるという事をしていたが、1766 年にそこで Antonio Salieri (1750-1825) と知り合い、その歌唱と Klavier 演奏の才能を見出した Gaßmann は、当時未だ 15 歳の Salieri を Wien に連れて帰り、Wien に於いて作曲の教授を自ら行う一方、独語、仏語、Latin 語及び伊語の個人教授の采配も行って、Salieri へのその後の教育に尽くした。

 1771 年に Gaßmann が中心的な役割を果たして、Wien に 「Austria の音楽家の未亡人と孤児の為の年金協会」 が創設される。この組織の第 1 の目的は、音楽家が死亡した場合に残された家族のその後の生活を経済的に助ける事であったが、この音楽家達自身の手によって給付金支払いの為の機関が初めて創られた事により、若しこの様な組織が無ければ、それ以前の様に残された遺族は貴族の好意に頼らざるを得なかった状況からの、音楽家とその家族達の解放へ向けた第 1 歩を進める事が出来たという点で、この協会は社会的に当時大変重要な意味を成した。

 1771 年 2 月 23 日付けの Austria 大公女 Maria Theresia (1717-1780) による布告では、この協会の創設が許可されただけでは無く、500 Dukaten の寄付金を国庫より与えられており、創設と同時にこの協会は宮廷の後援を得る事が出来ている。
又この協会の最初の名誉会長となった Praha 出身の Spork 伯爵 Johann Wenzel (1724-1804) は、音楽を大変愛好した貴族というだけでは無く、1764 年に Wien に招聘されて、宮廷の音楽と劇場の公演全てを管轄下に置く総監督官を務めており、又 Gaßmann は協会創設の翌 1772 年に、Georg Reutter der Jüngere (1708-1772) の後任として Hofkapellmeister に就任しており、この協会と宮廷、並びに貴族達との間には最初期から緊密な繋がりがあった事が分かる。

 協会の会員は Wien に在住する職業音楽家に限られ、その中心を構成するのは宮廷音楽家達であったが、Mehlgrube や Augarten を会場にして定期的に行われていた演奏会に参加していた様な、ある程度の演奏能力は有していてもそれを専門職としていない人々が入会する事は認められなかった。
入会を認められた会員が負担する費用は入会時に 300 Gulden、及び年会費として支払う 12 Gulden であった。

 協会を代表する者としては名誉会長という役職が置かれ、1848 年に至る迄の間は先述の様に、「音楽騎士」 の称号を戴く宮廷音楽関係全般を監督した者が代々その職に就いたが、実際に会の運営の責任を担ったのは、会員の選挙によって選出された会長で、初代は Gaßmann が務め、それ以降はその生徒の Antonio Salieri (1750-1825) や、Joseph Haydn (1740-1806) の生徒で、1804 年からは Salieri の下で副楽長を務め、1823 年 10 月に Salieri の健康状態が悪化して病院に入院し、その翌年に退職した際にその後継者として、Wien の Hofkapellmeister に就任した Joseph Leopold von Eybler (1765-1846)、又 Saalieri と Eybler の両者に師事し、1838 年に Wien の宮廷第 2 副楽長となり、Eybler が亡くなった 1846 年にその後継者として Hofkapellmeister に就任した Ignaz Aßmayer (1790-1862) 等がこの職を務めている。

 この協会の重要な役目は、職業音楽家としての社会階層を代表し、病気や高齢等で貧しくなった彼等の財政的支援を行う事であったが、それと同時にその為の重要な財源として、定期的な演奏会の開催を行っていた。
Wien に於ける初めての演奏協会ともなったこの組織が、演奏会を主催するに当たってその会場としていたのは宮廷劇場であり、演奏会開催の時期は、劇場に於ける Oper 等の上演が行われずに休場となる復活祭と降誕祭の期間中であったが、そこからその演目の中心としは Oratorium が採り上げられ、それに加えてその他の様々な曲が合わせて演奏されるという様な演奏曲目の構成が行われていた。
Joseph Haydn、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) や Ludwig van Beethoven (1770-1827) も、作曲家及び演奏者としてこの演奏会に何度も登場している。

 

 


この先は次回
»Antonio Salieri Teil 47«
[Archiv / Kommentar 2023 Nr. 3]
へ続く

 

 


上部の写真:

Florian Leopold Gaßmann


Bohemia 出身の Wien の宮廷画家
Anton Hickel (1745-1798)
の原画に基づき
Johann Balzer (1738-1799)
による銅版画

1772

 

 

 

 

 

 

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