Musik 2023 Nr. 2
Ludwig van Beethoven
Leonore / Fidelio
Teil 2
»Leonore / Fidelio Teil 1«
[Archiv / Musik 2023 Nr. 1]
より続く
Ludwig van Beethoven (1770-1827) が Bonn の第 2 Hoforganist に任命された翌 1785 年の、謝肉祭期間中の Bonn の劇場に於ける公演の為に、この前年に前選帝侯の死亡によってその後継者となった Köln 選帝侯 Maximilian Franz von Österreich (1756-1801) は、Austria 出身の俳優及び歌手で又劇場監督の Johann Heinrich Böhm (1740-1792) が率いて、Rhein 地方の各地を巡回して公演を行っていた劇団と契約を結ぶ。
この Böhm の劇団はこれに先立つ 1783 年 2 月 10 日に、Köln の Schmierstraße に新しく建設されて Köln で初めての常設の劇場となった、Komödienhaus の杮落し公演として、William Shakespeare (1564-1616) による „The Life and Death of King Richard the Second” (通称 Richard II) を上演していた。
この Böhm の劇団が 1783 年 10 月から 1785 年 10 月迄の期間中に新演出として取り組んだ作品の一覧には、Christoph Willibald Gluck (1714-1787) による „Alceste” (1767) と „Orfeo ed Euridice” (伊語版 1762、仏語版 1774) 、Antonio Salieri (1750-1825) による „Armida” (1771) を含む 4 作品、Giuseppe Sarti (1729-1802) による „Fra i due litiganti il terzo gode” (1782) と、Ignaz Holzbauer (1711-1783) による „Günther von Schwarzburg” (1777) 、その他に Giovanni Paisiello (1740-1816) による 5 作品等が含まれており、この劇団によるこれ等の作品の上演によって、Beethoven が様々な当時の舞台作品に触れる事の出来る機会を得たという事が分かる。
特に何れもが Wien に於いて初演を迎えている、Gluck による „Alceste” と „Orfeo ed Euridice”、及び Salieri による „Armida” については、普段この劇団が採り上げていた作品とは対照的な性格を持ったもので、Wien との深い繋がりを持つ選帝侯 Maximilian Franz の希望によって、Bonn に於ける公演の為に特別に準備されており、Beethoven もこれ等のその時代を代表する Opera seria の作品を、Böhm の劇団による上演を通して知る事が出来た。
Beethoven の師の Christian Gottlob Neefe (1748-1798) が 1787 年 4 月 8 日に書いた手紙に拠ると、同年 3 月 30 日に Bonn の宮廷に於いて、選帝侯宮廷楽団 Konzertmeister の Joseph Reicha (1752-1795) の指揮によって、Joseph Haydn (1732-1809) の Orchester の為の作品 „Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am Kreuze” (十字架上の救い主の最後の7つの言葉、Hob. XX/1:A) が演奏されている。
この曲は Iberia 半島南端近くの Cádiz の司祭であった José Sáenz de Santa María y Sáenz (1738-1804, 1793- Valde-Íñigo 侯爵) が私財を投入して、1783 年に現在見られる様な状態に完成させた Oratorium de la Santa Cueva (聖なる洞窟礼拝所) の為に、1785 年に Haydn に作曲を委嘱したもので、その礼拝所で聖金曜日に演奏する事をその目的としていた。
新古典様式に基づいて建設されたこの Oratorium de la Santa Cueva の内部装飾は、Francisco de Goya (1746-1828) や Zacarías González Velázquez (1763-1834) を始めとする、当時の España を代表する画家達が担っており、1981 年には国の歴史的芸術的記念碑に指定されている。
Haydn によって 1787 年に完成された „Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am Kreuze” は、Oratorium de la Santa Cueva に於いて同年の聖金曜日であった 4 月 6 日に演奏されているが、これに先立って Haydn はこの楽譜を写譜させて配布した様で、Köln 選帝侯 Maximilian Franz がこれを入手し、Cádiz に於いてこの作品が演奏された聖金曜日よりも 1 週間早い、同年 3 月 30 日の金曜日に Bonn で演奏されたという事が、上記の Neefe による手紙から分かる。
この Haydn による Orchester の為の作品は、この曲の楽譜を出版する運びとなった Wien の出版社 „Artaria & Comp.” の希望により、Haydn 自身によって弦楽四重奏曲 (Hob. XX/1:B, Hob. III:50–56) と Klavier 曲 (Hob. XX/1:C) としての編曲版が作成され、それ等が原曲と合わせて 1787 年の夏に同社より出版されている。
又 Haydn は 1794 年の London 楽旅への往路か、或いはその翌年の帰路の途中に Passau を通った際、当地の Hofkapellmeister であった Johann Joseph Frieberth (1724-1799) が、Oratorium für Chor und Orchester に編曲した „Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am Kreuze” の演奏を聴き、自身でも Oratorium für vier Solostimmen, Chor und Orchester 版への編曲を行う事を決める。台本を Gottfried van Swieten 男爵 (1733-1803) が担当して作曲が行われたこの編曲版は、1796 年の聖金曜日であった 3 月 25 日に、Wien の Schwarzenberg 宮に於いて初演が行われ、その楽譜は 1801 年に Leipzig の Breitkopf und Härtel より出版されている。
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[Archiv / Musik 2023 Nr. 3]
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上部の写真:
Oratorium de la Santa Cueva
Cádiz