Kommentar 2020 Nr. 8
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 28
»Antonio Salieri Teil 27«
[Archiv / Kommentar 2020 Nr. 7]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
1789-1790 年度の Wien の宮廷劇場は、帝室宮廷楽長の Antonio Salieri (1750-1825) によって組み上げられた上演演目が好評を博し、また特にその前年の Osmân 帝国との戦争とそれに因る劇場閉鎖の危機という様な問題も起こらず、平穏に過ぎて行った。特に 1786 年に既に初演を迎えていた、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) による 4 幕の Opera buffa „Le nozze di Figaro” (Figaro の結婚) の、改訂版による再演は大きな成功を収め、この年度中だけで合計 29 回の公演が行われている、
しかし好調に進んでいたこの時の劇場の運営と、また Salieri や Mozart を始めとする Wien の音楽界の関係者達は、1790 年 2 月 20 日に皇帝 Joseph II. (1741-1790) が亡くなった事により大きな打撃を被る。
宮廷劇場や音楽家達との関係を深く保って来た Joseph II. とは違い、新皇帝 Leopold II. (1747-1792) としてその後を継いだ彼の弟は、音楽への関心を全く示さず、自身が宮廷劇場に出向いたり、また兄の様に音楽家との個人的な関係を持ったという記録が残されていない。
しかし宮廷に於いて音楽が全く必要とされなくなった訳では無く、例えば夫々 Frankfurt am Main、Preßburg 及び Praha に於いて行われた、Leopold II. の神聖 Roma 帝国皇帝、Hungary 国王、及び Bohemia 国王への戴冠式の際には、その儀式とそれに伴って行われる祝祭に音楽は必須であり、帝室宮廷楽長職にあった Salieri の采配によって夫々に必要な音楽が演奏されている。しかし通常であればその際に演奏される曲を新たに作曲するのも宮廷楽長の職務の一つであったが、この時に Salieri は新たな作品の作曲を全く行っていない。
Leopold II. の Bohemia 国王への戴冠式が、1791 年 9 月 6 日に Bohemia 王国の首都 Praha に於いて行われる事が決定されると、Praha の Nationaltheater の監督であった Domenico Guardasoni (ca. 1731-1806) は同年 7 月 8 日に、戴冠式の際の祝祭の催物として新たな Oper を上演する為に、それを有名な作曲家に委嘱するという事を決める。
当然の成り行きとして最初にその作曲を打診された Salieri が多忙を理由にこれを断ると、同年 7 月 14 日に Guardasoni は 自身が Wien に迄出向いて Mozart と、Leopold II. によって解任された Lorenzo Da Ponte (1749-1838) の後任が決定する迄の期間、その帝室詩人としての役職を担う事となった、Italia の台本作家で詩人の Caterino Mazzolà (1745-1806) を訪ね、Praha に於ける戴冠式の御祝いとしての Oper 制作の依頼をし、両者はその依嘱を受けた。
Oper の制作としては異例に期間の大変短い委嘱であった為に、Mozart は早速 7 月末には作曲に取り掛かり、凡そ 50 日間で完成させなければならなかったが、その上演の為に彼が 8 月 28 日に Praha に到着した時点に於いても、序曲を含めて何曲もの作曲が未だ残されている様な状態であった。
2 幕の Dramma serio „La clemenza di Tito” (Titus の慈悲, KV 621) として完成されたこの Opera seria は、予定通り戴冠式当日の 9 月 6 日に、Praha の Nationaltheater に於いて Mozart の指揮の下に初演が行われた。
Leopold II. が Habsburg 家の新たな当主となると、彼は音楽に対する関心は持っていなかったものの、宮廷の音楽関係の組織の人事には関わる事をし、自分の気に入った人物を新たに任命して、例えば上記の Lorenzo Da Ponte の様に、意見の合わない者や好まない人物は解任される事となった。
この機会に Salieriは 自身で帝室宮廷楽長職からの解任を Leopold II. に願い出たが、皇帝はそれを認める事はせず、毎年夫々 1 作品の Oper を宮廷に提供する事を条件に宮廷楽長に留まる事を指示したが、大きな負担となっていた宮廷劇場の管理からは Salieri を開放する事とした。
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 29«
[Archiv / Kommentar 2021 Nr. 1]
へ続く
上部の写真:
Praha に於ける戴冠式の際に
Nationaltheater を一時的に改造して行われた
御祝いの舞踏会
Bohemia の画家及び美術史家の
Jan Jakub Quirin Jahn (1739-1802)
による
彩色銅版画
1791