Musik 2021 Nr. 3
Ludwig van Beethoven
Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93
Teil 28
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 27«
[Archiv / Musik 2021 Nr. 2]
より続く
Ludwig van Beethoven (1770-1827) が 1813 年の春に、Symphonie in A-dur (op. 92) 及び Symphonie in F-dur (op. 93) の初演を含めて、Wien 大学の大講堂に於いて開催しようと計画していた慈善演奏会の計画が頓挫し、またそれに代わって希望を託した、Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 侯爵 (1772-1816) の宮廷楽団による演奏会も、Austria 大公 Rudolph (1788-1831) の仲立ちによって認められはしたものの、5 月 15 日以降という条件ではその演奏会からの収益を目指していた Beethoven にとっては、全く意味を成さないという結果に終わってしまう。
同年 4 月 26 日に Lobkowitz 侯爵によるこの決定の知らせを受け取った Beethoven は、更にこれ等に代わる演奏会の機会を考えて同月 30 日に、Rudolph 大公とその兄の Austria 大公 Ludwig (1784-1864) の教育係を務めた、帝室王室宮廷顧問官の Joseph Anton Ignaz Edler von Baumeister (1750-1819) に手紙を書き、Beethoven による Symphonie in A-dur の Orchester 声部譜と総譜を、その翌日に Augarten に於いて開催される演奏会の為に必要になったので送って貰いたい事、総譜の手稿譜についてはそれ以後何時でも大公が再び保持していて構わない事、及び [その演奏会の] 入場券を何枚か得たのでそれを送りたい事を伝えている。
Symphonie in A-dur の Orchester 声部譜は、前年の夏に Rudolph 大公 が作成させており、それ以後大公の音楽蒐集に含まれていたものであったが、声部譜作製の基となる総譜の手稿譜も大公がそれ迄保持していた事、またこの時 Beethoven は上記 2 曲の新作の Symphonie の初演では無く、先に完成された Symphonie in A-dur のみの演奏を考えていた事がこの手紙から分かる。
Beethoven がこの時に Symphonie in A-dur の演奏を考えた Augartenkonzert は、Wien の現存する最古の Barock 様式に依る庭園となった Augarten 内の „Alten Favorita” に於いて、1782 年にその第 1 回が行われた、当時毎週日曜日の朝に開催されていた演奏会。
Beethoven が上記の手紙を書いた翌日の 1813 年 5 月 1 日に、Violine 奏者の Ignaz Anton Schuppanzigh (1776-1830) の指揮によって行われた Augartenkonzert では、実際には Beethoven が Baumeister に楽譜の送付を依頼した Symphonie in A-dur では無く、既に 1808 年 12 月に初演の行われていた Symphonie in c-moll (op. 67) と、この年に作曲された Triumphmarsch zu Christoph Kuffners Trauerspiel „Tarpeja” in C-dur (Hess 117a) が演奏されている。
Beethoven の考えた Symphonie in A-dur が演奏されなかったのは、恐らく Orchester による練習時間が短か過ぎた為であろうと推測する事が出来る。
一方 Beethoven はこれに先立つ 1811 年の夏の休暇の時期に、Bohemia 王国の温泉保養地の Teplitz に於いて、帝室王室宮廷参事官で宮廷管財人の Joseph von Varena (1769-1843) と知り合う事があったが、彼が大変熱心な音楽愛好家であり、Graz の Ursula 修道院女子学校の為の慈善演奏会を組織していた事から、それ以降この両者は親密に連絡を交わして、Beethoven はその演奏会の為に数々の自作品を提供するという事をしている。
特に Johann Wolfgang von Goethe の Drama „Egmont” の為の音楽 (op. 84) と、Oratorium „Christus am Ölberge” (op. 85) については贈り物だとして Varena にその楽譜を与え、この Oratorium の Orchester 声部譜については無制限の上演を認めた。これ等の他には August von Kotzbue による祝祭劇 „Die Ruinen von Athen” の為の音楽 (op. 113) や、同じく August von Kotzbue による祝祭劇 „König Stephan” の為の音楽 (op. 117) についても、無償でその演奏の為に楽譜を提供している。
1812 年 5 月に Beethoven は新たに、新作の Symphonie in A-dur (Nr. 7, op. 92) を慈善演奏会の為に提供出来るという事を Varena に知らせ、翌 1813 年の 3 月と 5 月には更にもう 1 曲の新しい Symphonnie in F-dur (Nr. 8, op. 93) もそれに加えて、2 曲の新作の Symphonie の演奏の可能性について言及している。
Beethoven
による
手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による
この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 29«
[Archiv / Musik 2021 Nr. 4]
へ続く
上部の写真:
Graz の 旧 Ursula 修道院女子学校
1700 年から 1722 年に掛けて建設され
1900 年の移転迄使用された