Kommentar 2022 Nr. 1

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Antonio Salieri

 


Teil 37

 

 

 

 

 

 

 


»Antonio Salieri Teil 36«
[Archiv / Kommentar 2021 Nr. 8]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について

 

 Napoléon Bonaparte (1769-1821) の率いる France 王国 Italia 軍に対する戦争に於いて、Austria 大公国が劣勢に立たされた社会状況が原因となって、一時舞台作品の創作活動を中断していた Antonio Salieri (1750-1825) は、1798 年 10 月 17 日に両国の間に締結された Campo Formio の和平によって、最終的にこの戦争が終結すると作曲活動を再開する。

 この時に新たに作曲に取り掛かった作品は、2 幕の Dramma giocoso „Falstaff, ossia Le tre burle” (Falstaff 又は 3 つのいたずら) であったが、台本は William Shakespeare (1564-1616) による喜劇 „The Merry Wives of Windsor” (1597) に基き、Carlo Prospero Defranceschi が書いているが、Defranceschi によって原作の比較的複雑な筋書きは、例えば Fenton と Anne Page による脇筋は省略する等して、本質的なものに集約された集中度の高いものとなっている。

 Salieri による音楽は、例えば音楽的に Seria 的な性格付けのされている Mr. Ford を始めとして、登場人物 1 人 1 人の音楽による個性の表現、Buffa と Seria の夫々の要素を対照させた上での意図的なそれ等の音楽上の組み合わせ、また Klarinette、Violine や Violoncello 等の楽器へ割り当てられた独奏声部の多用を始めとする、特徴的な Orchester の扱い方に関する管弦楽法等、Salieri の作品の中でも特に個性的で且つ同時に大変技巧に富んだものとなっている。

 また魅力的な Arie と速度の速い Rezitativ が作品の進行上の推進力を担い、又それ迄の舞台作品の作曲の仕方としては一般的であった、夫々が独立して番号付けられた部分の羅列から全体が形成されるという構成の方法から、この作品に於いては 1 つの互いに有機的に関連付けられた、より大きな複合的場面による構成へ向かおうとする傾向を明らかに見て取る事が出来る。

 この作品の初演は 1799 年 1 月 3 日に、Wien の Theater am Kärntnertor に於いて行われたが、その時の記録によるとその初演は大変大きな成功を収め、その時代では稀に見る盛大な拍手喝采が作品と演奏者達に与えられている。
作品中の数多くの曲の繰り返しが求められ、Duett については 3 回も繰り返して演奏が行われた。またその当時としては珍しく、終演後には出演者全員が舞台上に呼び求められ、Salieri に関しては聴衆の前に現れる事を 2 回求められている。

 既にこの作品の初演が行われた年に Ludwig van Beethoven (1770-1827) は、„Falstaff, ossia Le tre burle” の第 1 幕の Duett „La stessa, la stessissima” の Thema に基づいて 10 Variationen für Klavier in B-Dur (WoO 73) を作曲しており、同じく Joseph Woelfl (1773-1812) と、Klavier 奏者で特にその為の Variationen の作曲を得意とした Josepha Barbara Auernhammer (1758-1820) によっても、この同じ Thema に基づく Variationen für Klavier が作曲されている。

 Salzburg に生まれ、同地の大聖堂合唱団の子供達の為の寄宿学校であった „Kapellhaus” に於いて、Leopold Mozart (1719-1787) と Michael Haydn (1737-1806) の教えを受けた Joseph Woelfl は、1795 年から Wien に移り住んで Klavier 奏者及び作曲家として活動していたが、その Klavier 奏者としての技巧の評判は高く、1798 年から翌年への冬の季節に、同じ頃 Wien に於いて同様に、先ずは Klavier の演奏で次第にその評判を高めていた、Woelfl よりも 3 歳年長の Beethoven と共に、Wien の Plankenstern 男爵 Raymund Wetzlar (1752- 1810) の Schönbrunn 宮殿に近い Villa に呼ばれて、Klavier の技巧を争う競争が行われている。

 また一方 Wien 生まれの Josepha Barbara Auernhammer は 1781 年より、その年に Salzburg から Wien に移り住んだ Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の生徒になっており、Mozart は同年 Sonate für Klavier und Violine in C-Dur, KV 296 を、また同じく Sonate für Klavier und Violine in F-Dur, KV 376、F-Dur, KV 377、B-Dur, KV 378、G-Dur, KV 379 と Es-Dur, KV 380 を Auernhammer に献呈している。また Auernhammer は時々 Mozart と共に、彼による Sonate für zwei Klaviere in D-Dur, KV 448 や Konzert für zwei Klaviere und Orchester in Es-dur, KV 365 等の演奏で共に演奏会に出演しており、また Mozart の Sonate の印刷譜の校訂作業も行っていた。

 Auernhammer は Mozart の没後も定期的に Klavier 奏者として演奏会に出演していたが、1801 年 3 月 25 日に Wien の宮廷劇場の 1 つであった Burgtheater に於いて開催された演奏会では、その数日前に漸く出版されたばかりの、Beethoven による Konzert für Klavier und Orchester in C-dur (Nr. 1, op. 15) を演奏している。

 

 


この先は次回
»Antonio Salieri Teil 38«
[Archiv / Kommentar 2022 Nr. 2]
へ続く

 

 


上部の写真:

Theater an der Wien に於いて行われた
Falstaff, ossia Le tre burle
の舞台


Wien

Okt. 2016

 

 

 

 

 

 

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